南相馬・小高でボランティアする意味 東京電力の「ボランティア」たち

Posted on 2012年11月1日. Filed under: volunteer | タグ: , , , |

金曜の深夜、ボランティアチーム援人はワゴンに10人のメンバーを乗せ、福島県南相馬市内へ。以下、10月27日(土)の1日と28日(日)の半日のお手伝いの記録。

朝の小高VCのマッチングでは、お手伝い先の個人宅の方のお礼状に続いて、小高でボラに参加した東京電力の経営層の人からの手紙が読み上げられた。朝っぱらからショックだった。ぼくは金曜の夜には官邸前デモに行き翌朝南相馬でこのメッセージを聞いたことで、特に他の人より強い印象を受けたと思う。

南相馬市小高区でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

この日のお手伝いは、小高神社の近くの畑で草刈り。畑と言われなればわからないほど草がぼうぼうに茂っていたが、7台の刈払機を投入してなんとかきれいにした。

南相馬市小高区でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

いつもだと1日で帰京するが、日曜の午後に小高VCの運営母体である「災害復興支援ボランティアネット」の会合があるため、ぼくは原町のグリーンパークの宿泊所前で援人メンバーと別れた。夜は、個人車で(文字通り一人で運転して)ボラに来ている男女6人ぐらいに加えてもらい楽しく飲み食いさせていただく。

翌日は今にも降り出しそうな曇天。肌寒い。会合は午後なので、午前中だけお手伝いすることに。JILCA(日本いきいきライフ協力機構)さんのバスに相乗りさせてもらい、旧ファミリーマート小高店裏の畑の草刈り。刈払機の使い方もだいぶ効率的になった。終わる頃には腕・背中・腰の筋肉痛がはじまっていたけど。

南相馬市小高区でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

小高区にお手伝いに行く意味

小高VC(南相馬市ボランティア活動センター)の松本センター長によれば、センターでは最近積極的なニーズ収集をしていない。(私財や寄付で賄っている資器材のコストが相当嵩んでいるのも背景にあるはずだ。)が、活動が広く知られたせいもあって毎日依頼が3~5件ぐらい入るという。

週末の1日半、活動はいずれも草刈りだった。草は震災の被災財ではない。だけど、原発事故で立ち入り禁止になり、今も人が住むことはできないという状況がもたらしたものだ。

小高の行く末はわからない。何が「はじまり」でどこまで行けば「終わり」なのかというコンセンサスさえ定まっていないように見える。しかし、というよりだからこそ、ぼくは小高を見守り続けたい。ただ行くだけでもいいと思っている。しかし現にお手伝いのニーズがあり、依頼主が顔をほころばせてくれる結果につながるなら、お手伝いしない理由を探す方が難しい。足を運び続け、どうせなら喜んでもらうために汗を流したい。

さまざまな面で「震災への関心の風化」が指摘されている。風化を避けるにはどうすればいいだろうか。「忘れない」ためには忘れないという“心がけ”ではなく、忘れないためにとる“行動”こそが大切なのだと、最近よく考える。

震災はもちろん、福島第一原発事故は、ぼくにとって目を背けがたいことになった。南相馬に実際に足を運ばなければ、もっと鈍感に生きていただろう。その機会があったこと、一緒に行ってくれる仲間たちに改めて感謝したい。

東京電力の「ボランティア」たち

小高区ボラセンでは、ある時期から東京電力の社員(東京電力本体なのか多数ある関連会社や協力会社の社員なのかは、直接質問してみたわけではないのでわからない)がボランティアに参加しているのを見かける。

南相馬市小高区でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

この2日間も、彼らは参加していた。

揃いの帽子、揃いの雨具、「東京電力」というシールを貼ったビブスを着ていることから、彼らが自発的な意思だけで来たのではなく、会社の命令が介在していることは推測できる。

ボランタリーに来ようが社命で来たものであろうが、誰であれボランティアの頭数が増えることはいいことだ。それによって受益者となる人が増えるのだから。
「東京電力」というビブスを着て南相馬で作業をするのは、針のむしろに座る気持ちだろう。この点で、彼らの一人ひとりにぼくは敬意を感じる。それで東京電力という企業そのものに感じる強い怒りは消えることはないけど。

震災と津波だけでなく原発事故でも被災し、疎開を強いられ、賠償でも無用な手間を強いられる福島の人たちの東京電力に対する怒りの深さは、ぼくなどの想像をはるかに越えるものだろう。ただぼく自身、南相馬に行き、小高でお手伝いし、仮住まいから自宅に通う人の話を聞くことで、深い悲しみや怒りの何十分の一かは共有できるようになったと思う。

原発事故を招来した官民一体の無責任体制に、ぼくは強い怒りを感じる。が、小高でのボラに参加する東京電力の人たちの姿を見て、企業という大きな存在が間違ったとき社員一人ひとりが果たせる責任、道義的な行動とはなんだろう、と考える。部署が違う、一社員の立場ではどうしようもない、と保身に走る人もいるだろう。一方で先の見えない旧警戒区域に足を運び、汗を流している人の姿も厳然とある。

わずか数人・数十人の動きで大企業が変わることはない。しかし企業を構成するのは彼ら一人ひとりであることも間違いない。震災直後のまま時間が止まったような小高やコミュニティが引き裂かれた南相馬の街を見て、彼らは何かを悟るんじゃないだろうか。あの会社の徹底的な反省を引き出すための因子になってくれればいいんだけど。

東電ボランティアの姿を見て感じたことを、Twitterでつぶやいた。すると、Twitterで何度かやりとりしている南相馬市小高区から福島市に疎開している男性から返ってきたTweetは、こうだった。

「1年7ヵ月経過した中で、東電は口先では被災者に寄りそうと言ってるだけ、寄り添ってるつもりと思っているだけのような気がします。避難者が納得できるものではありませんし溝はかなり深いです。社員派遣によって企業体質が変わるとも思いません。
個人的にお付き合いする分については、良い人たちばかりなのですが、看板を背負うとやはり素直にお付き合いはできません。猛省をすれば原発の再稼働はないでしょう、稼働に向けて着々準備を進めているのはなぜでしょう。反省をしてるふり、したつもりだからではないでしょうか。」

原町のスーパー「サイヤ」には、すごく大きくおいしそうな梨(相馬産新高梨)が並んでいた。

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