石巻の釜谷・長面地区で「不明者捜索」のお手伝い

Posted on 2012年10月15日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , |

10月14日(日)、ボランティアチーム援人のワゴン援人号、石巻市長面(ながつら)でのお手伝い記録。

いつもと違って土曜日夜に出発、日曜日にお手伝いという旅程で、10月8日から石巻市や県警による本格的な不明者捜索がはじまった長面(ながつら)地区にお手伝いに行ってきた。

石巻市の水没地区で不明者捜索へ 84人犠牲の大川小近く:47NEWS
http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012100501001999.html

東日本大震災の津波と地盤沈下で大半が水没した宮城県石巻市の長面地区で、市と県警などが8日から行方不明者の本格的な捜索を開始する。県による排水作業が進んだためで、震災から1年半を経ての大規模捜索となる。

長面地区の近くには児童・教職員84人が犠牲となった大川小もある。

同地区はDSP災害支援プロジェクトが精力的に活動を続けていて、土日2日間のお手伝いを企画していたチームけっぱれ  の山口さん(援人で一緒に活動するメンバーでもある)から「日曜日は人手はあればあるほどいい」と教えてもらい、急きょ日曜日のみワゴンでお手伝いに行くことを決めたものだ。

泥出しや被災財の片付けとは違う「不明者捜索」のお手伝い。津波で多数の児童が亡くなった大川小学校がある釜谷地区や、未だにインフラが完全には復旧していない長面地区では、未だに見つかっていない行方不明者を探し出せる可能性があるという。
五感を研ぎ澄まし、しっかりお手伝いをしたいと思った。

石巻の釜谷・長面でお手伝い(DSP災害支援プロジェクト) Volunteer work at Ishinomaki (MIyagi pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake

早朝、大川小学校前に着く。集合時間にはだいぶ早かったので、まずは慰霊碑の前で祈り、壊れた校舎や背面の山を眺めながら佇んでいた。するとぼくらの方に、地元の方が静かに歩いてきた。

そこで30分ほど、全校児童の108人のうち74人が命を失うことになった大惨事のこと──子どもたちがなぜ津波が来るほんの少し前まで校庭に待機させられたのか、学校側や教育委員会はなぜ場当たり的な説明を続けているのか、遺族や地域の人々の苦しみはどんななのか──を話していただいた。重く、本当に悲しい話だった。

話を終え、軽トラックに乗って帰る前にその男性がつぶやいた言葉が、今も強く印象に残っている。

「私たちは取り残されている。子どもたちが還ってきたら、そのときから遺族の復興ははじまる」

石巻の釜谷・長面でお手伝い(DSP災害支援プロジェクト) Volunteer work at Ishinomaki (MIyagi pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake

お手伝いは、まず朝一はけっぱれ隊の一部チームと共に、大川小近くの側溝掘り起こし。次に長面に移動して、海岸奥の山際で砂の斜面を堀り崩しながらの遺留品探しとなった。そして最後の30分は、未分別で積み上げられていた瓦礫の仕分けと運び出し。
軽作業は一切なく、実にハードな一日だった。

石巻の釜谷・長面でお手伝い(DSP災害支援プロジェクト) Volunteer work at Ishinomaki (MIyagi pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake

他のチームがお手伝いした場所では、人骨とおぼしきものも見つかったとのことだった。

いわゆる災害ボランティアの手を必要とする地域は、被災三県の中でもかなり限定的になってきた。
が、今年4月まで自由な立ち入りが許されなかった福島県南相馬市の一部のような場所があり、またDSPのようにわずかな望みに賭けるご遺族のために現場に留まる動きもある。

災害ボランティアはそろそろ終わりかな…と思っても、人手が必要な地域は厳然とあって、終わらない。

まずは現場を見てきた者の責務として、ぼくらが行き続けることだ。そして可能なら、最近は行くことをやめてしまった人や、まだ行ったことのない人を巻き込もうと努めること。

もう来なくていいから!充分だから!と言われる日まで、お手伝いに行こう。

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