南相馬市小高区でお手伝い 1年7ヵ月ぶりに見えた地面(ボランティアチーム援人)

Posted on 2012年9月30日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , |

2012年9月29日(土)、援人チームはワゴン援人号×2(1号2号)の総勢20人で南相馬にお手伝いへ。

深夜の日本橋、チームの集合場所には、見送りの人を含めて20人以上が集まった。仕事の後駆けつけてくれる人もいた。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

南相馬市小高区、「南相馬市ボランティア活動センター」に到着。

このセンターのボランティアでぼくが一番好きな時間は、朝のマッチング前の松本センター長の訓話、そして最近では恒例となった南相馬市社協会長の門馬氏の挨拶だ。
特に、年配の会長が8時30分からの集合に顔を出していただけるだけでなく、「遠くから南相馬の復興のために駆けつけてくれてありがとう、本当にありがとう」と、何度も何度も感謝の言葉をかけてくれるのには、いつも心動かされる。これを聞くと、“よっしゃあ!今日も一日南相馬のためにがんばって働こうかぁ!”とやる気が上がり、体に力がみなぎってくるのだ。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

この日のお手伝い先は、センターから258号線を内陸部に進んだ小高区大田和の個人宅。残念ながら内陸部は、沿岸部より放射線量が高い。

そのお宅に併設されたビニールハウスと畑は、人の背丈ほどある雑草で覆われていた。ハウスの中は人が入る余地もなく、畑は隣の家の敷地との境界もわからないような状態なのだ。そこに早速分け入っていく。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

作業が進み、屈強な雑草を取り除かれていくにつれて、ビニールハウスの中からは苗のポットが、畑からは畝の跡が顔を出しはじめる。1年7ヵ月ぶりに見えた地面。それが3.11以前に営まれていたことの痕跡なのだと思うと、無心に作業をしていても一瞬手が止まった。

作業後が一通り終わった後、依頼主のお母さんに見ていただくと、「2年ぶりに土が見れた」と喜んでいた。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

ぼくたちボランティアが小高区でできる第一のことは、復旧・復興のさらに手前の、この場所に十分に手が入らないまま朽ちていくのを少しでも止めることだろう。

この日の昼食は、原町のサイヤさんに頼んでおいた特製幕の内弁当。おいしかった。

そして帰路では、川俣町の「あじせん楓亭」さんに寄ってシャモ親子丼を食べた。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

「なんで今でも行くのだろう」と、行き帰りの車中で考える機会が増えてきた。

しかし東京に戻ってきても、週末目にした南相馬の光景が目に浮かぶ。忘れることが難しいのだ。それが取り残された被災地に足を運び続ける、大きな理由だ。

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