南相馬市小高区の個人宅でお手伝い(ボランティアチーム援人)

Posted on 2012年9月3日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

2012年9月1日(土)、ボランティアチーム援人、南相馬市小高区の個人宅でのお手伝いの記録。

前日金曜日の夜にワゴンで南相馬へ向かった援人隊は、南相馬市ボランティア活動センターの下、4月中旬から「避難指示解除準備区域」になった小高区で活動をしてきた。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

(※個人宅だっため、お手伝い中の写真はなし。)

今回のお手伝い先は個人のお宅。常磐線の線路のすぐ近くだった。
現在ではシニアのご夫婦二人だけが南相馬に残り、時々通っては少しずつ必要な物を運び出している状態だという。お子さんやお孫さんはすでに他都市に移住されていて、戻ってくるあてはない、と仰っていた。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

ご依頼の内容は、納屋の片付けと、半壊のため取り壊しが決まったご自宅から必要な家具を運び出すこと。

屋内に入らせていただいて驚いたのは、震災から1年6ヵ月近くたつのに、本棚から飛び出した本が数多く床に散らばり、大型家具も転倒したままだったこと。

つくば竜巻被害のときのボランティアの記憶が甦った。あのときと同様に、沢山の思い出の品があった。
つくばでは、依頼主のご指示に従ってどんどん物を捨ててしまった。後で、ボラ経験者の「災害に遭った直後の人は混乱している。『どんどん捨てて』と言うが全て真に受けず、『後で判断しませんか』と残すことを勧めるべき」という意見を読み、確かにそうだったかもしれないと後悔した。

思い出の手がかりとなるであろう家財の数々だ。今回は、ご主人に「これ捨てますか」と聞かず、「これ残しますか」と聞くようにした。何でも捨てるのではなく、必要なものを選り分けましょう、と畳み掛けたかったのだ。また、作業のペースもせかせかせず、ご主人の判断に合わせるよう心がけた。

前回の反省を、少しは活かすことができたと思う。

暑い日で、重い家具などを運んでいると汗が面白いほど体を伝っていった。他の皆も汗だくで働いていた。

お昼休憩のときには、奥様と話をしていた女性陣が「夫婦二人だけだと気持ちが萎えてしまってなかなか片付ける気持ちが起きないけど、こうしてボランティアの人が来てくれると助かる」と言っていただく。

南相馬市小高区の個人宅でお手伝い (ボランティアチーム援人) Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

南相馬は特殊な事情で遅れているとはいえ、そろそろニーズは落ち着いたかなという認識だったが、今回のお手伝いで再び背中を押されたような気がした。

わずか数時間のお手伝いだったけど、先が見えない小高やご自宅の今後を気にかけるご夫婦の気持ちを、少しだけ軽くするためのお役に立てたんじゃないかと思っている。

帰路、二本松で「杉乃家」さん(浪江町から避難してきて名物「浪江焼そば」を出しているお店)で夕食。シンプルでボリューム満点の焼そば、とてもおいしかった!

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