官邸前デモ、その後で南相馬市小高区塚原でお手伝い(ボランティアチーム援人)

Posted on 2012年7月9日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

7月6日(金)夜は官邸前デモへ。そしていったん家へ帰ってパッキングなどをして24時に日本橋に 集合。
7月7日(土)は、援人の仲間6人で福島県南相馬市でボランティアをしてきた。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident

現在小高区内にある唯一のボランティア受け入れ施設「南相馬市 ボランティア活動センター」(5月までは原町区にあり「仲町ボランティア活動センター 」という名前だった)は、基本的にどんな悪天候でも作業が中止になることはない。昨年 末からぼく自身も、大雪の中や雨の中お手伝いをした。
ただ6日は朝から雨はやや強めに降っていたので、朝のオリエン時、キツければリーダ ーの判断で撤収してもよい、という説明がさすがにあった。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident
お手伝いは小高区塚原(つかばら)。南相馬市の3つの区のうち南端の小高区の多くは 、4月中旬まで原発事故の「警戒区域」として住人ですら滅多に立ち入ることができず、 未だに発災直後に近い光景が広がっている。

この日のお手伝い内容は、田畑に混じって住宅が建ち並ぶ区域での側溝泥出し。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident

援人隊に割り当てられたのは、側溝といっても田畑の脇の用水路のようなタイプ。蓋は なく、深さは膝丈を越える。ずっと降る雨で山から水が勢いよく流れ込んでおり、水かさ が増して濁流となっていた。底はまったく見えなかった。これが苦労の元となる。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident

中に立つことができないので無理な姿勢でスコップを振るうかたちになり、力が入りづ らい。そして底にはヘドロや砕石ばかりでなく、瓦やガラス、生活用具、例えば茶碗、洋 服、美容器具などが沈んでおり、見えないだけに泥出しの妨げとなった。
これらの被災財は、震災直後の津波によって1年数ヶ月の間封印されていたのだろう。 欠けもなくそのまま使えそうな茶碗などもあった。

この状況、側溝の長さに対して、6人のチームは少ない。

雨は強くなったり弱くなったりしながら降り続け、やがてレインウェア内に浸透。午後 は気温が下がったせいもあり、肌寒くなってきた。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident

14時過ぎ、皆を見渡すと、困難な泥出しと雨による冷えのせいで皆ぐったりした様子 だ。センターでは撤収時間はある程度任せられている。調子がよければ15時30分までやる ことは普通だが、皆の様子を見て15時で引き揚げることにした。
全身ずぶ濡れであ り、風呂に入らずに帰京するのはさすがにマズいと思ったからだ。

原町区に戻って入浴後、道の駅南相馬内で集合写真をお店の人に撮っていただく(現場では雨と疲れで撮れなかったため。レア)。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident

帰路、車は飯舘村、川俣町、二本松を抜けるコースを行く。飯舘村では、線量計は車内 でも1μSvを超える。その他の地域でも0.5μSvぐらいを示すところもいくつもある。
地震や津波による影響などひとつも感じられないのどかな場所が、「住めない場所」 「住み続けることに注意を要する場所」となる不条理を思う。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident

小高でお手伝いしたというぼくのTweetを見て、知らない人から「お疲れ様、そし て本当にありがとう!!」というメンションをもらった。
プロフィールを見ると、小高区で育ち、小高区で伴侶を見つけ、3人の子どもを小高で 育てていたが、現在は鹿島区の仮設に避難中とあった。Tweetを遡ると、仮採用が決まって8月1日から出社する、とも。原発災害のせいで彼ら家族が強いられた苦しみを少しの時間想像してみた。

車は東京に近づく。東北被災地から東京に戻ると、いつものことだが、深夜でも煌々と光輝く街に違和感を 覚える。

南相馬市で側溝掃除ボランティア (援人) Volunteer at Minamisoma, Affrected by the Tsunami of Japan Earthquake and Nuclear plant accident

官邸前デモの隆盛に対して、「脱原発派は現実を見ろよ」という人たちがいる。
現実とは何か?
現実とは「原発はそれでも必要」ではない。「沢山の原発が作られたが、『およそ原子力を扱うものに許されない無知と慢心』から『人災』を起こし、沢山の人を不幸にし、賠償は遅々として進ます、原因究明すら途上である」ということだよ。

この「現実」に対してまずは“NO”の気持ちを強く自覚するところから始めるしかない。そして「別の現実」に至る道を強く望むことだ。「望み」は「現実」をぶつけられて も壊れてはいけない。

これを読んでくれた人にお願いがある。福島の、原発事故のせいで影響を受けた場所に 行ったことがなければ、ぜひ一度行ってみてほしい。難しければ、福島から避難してきた 人に話を聞いてみるとか。
これは本当にあってはいけない事態なんだよ。テレビやネットを通してでなく、一人で も多くの人が五感で感じてみた上であれこれ語ってほしい。

南相馬には行き続けたいと思う。少しだけ復旧復興のお手伝いをするため。そして原発 災害の不条理を少しでも自分ごとに近づけるため。

今回のお土産。「相馬銘菓 はらまち大好き」。

「相馬銘菓 はらまち大好き」

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