南相馬市小高区(旧警戒区域)で個人宅の瓦礫片付けのお手伝い (ボランティアチーム援人)

Posted on 2012年5月28日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , |

2012年5月19日(土)、前日夜に東京を発った「ワゴン援人号」の8人は、南相馬市ボランティア活動センター(旧:仲町ボランティア活動センター)の下、旧警戒区域である小高区(おだかく)の個人宅で瓦礫片付けのお手伝いをしてきた。援人として警戒区域解除後の小高区にお手伝いに行ったのは、今回が初めてだ。

南相馬市小高区で瓦礫片付けボランティア Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Damaged by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

朝、センターに集まった70~80人全員が小高区のニーズのお手伝いに向かった。

南相馬市小高区で瓦礫片付けボランティア Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Damaged by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

お手伝いをしたXさん宅は、海までの距離が600mほど。そして福島第一原発までは約15kmの距離にある。

南相馬市小高区で瓦礫片付けボランティア Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Damaged by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

Xさんご夫妻は去年、震災が起きた翌日の3月12日に避難をし、しばらく埼玉県の避難所に身を寄せ、現在では福島県の別の都市で仕事を見つけ、生活を再建中だという。小高区のこのご自宅に戻ったのは震災後3回だけ。4月16日「避難指示解除準備区域」となってからは、今回が初めての帰宅だというお話だった。

Xさんのお宅の敷地には大量の瓦礫や土砂が流れ込んでおり、また庭にある納屋も同様だった。まずはそれらを運び、一ヵ所にまとめる作業からスタート。小高区ではこうしたゴミの収集の目処が示されておらず、敷地内に置いておくしかないという。
その後、家の裏に体積した瓦礫や土砂を取り除くと側溝が出てきたため、仕上げ作業のひとつは側溝の泥の掻き出しとなった。(※作業中は写真撮影せず。)

南相馬市小高区で瓦礫片付けボランティア Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Damaged by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

壮年のTさんご夫婦は元気に立ち働き、ぼくらと同じペースで動いていた。

捨てるもの残すものの判断を仰ぐと、「頭がパニックになっちゃって」と苦笑いするTさん。
少しでもきれいな印象を出そうとぼくが玄関ポーチに積もった土砂をスコップで掻いていると、一緒に懸命にやりはじめた奥さん。
家の周りをうろついていた猫の一匹が、震災前まで飼い猫だったとわかったとき。
胸を突かれるような瞬間がいくつかあった。

作業が一段落、ある程度きれいになった自宅周りを見て、奥さんが「これだけ綺麗になると、また住めるかもと思うことも…」とつぶやいた。

南相馬市小高区で瓦礫片付けボランティア Volunteer at Minamisoma (Fukushima pref.), Damaged by the Tsunami of Japan Earthquake and Fukushima Daiichi nuclear plant accident

しかし小高区では震災で発生した瓦礫の集積場所がまだ決まっておらず、電気やガスも復旧しておらず、放射線量も必ずしも低くはない。休憩時間に移動しながら測ってみたところ、特に土が露出している場所の線量は高く、ある草むらでは1μSv/hを越えた。吹き溜まりなどはもっと高い場所もあった。

最後にTさんご夫婦は、何度も感謝の言葉をかけてくれた。笑顔をたたえて。
慰めや励ましの言葉がいくつか浮かんだが、どれも適当だとは思えず、言葉を呑み込んだ。

初めての小高区でのお手伝いは、前の週につくば市北条で実感したようなストレートな内容だった。警戒区域の解除によって南相馬は、災害ボランティア、災後の復旧のためのお手伝い先として最重要になったのだと実感した。

一方で、旧警戒区域にチームを率いてお手伝いに行くことへの葛藤は消えていない。

せいぜい週に1度ぐらいしかお手伝いに行けない、つまり滞在時間など微々たるものでしかない外部の人間にとって、線量が1μSv/hだろうが2だろうが7だろうがあまり大きな問題ではないだろう。

誰にとって問題かといえば、その地域に住みはじめることができるだろうと期待を持っている人たちだ。行政は何のプランも示さずに、いや控えめにいって、3年後には除染をするなどという説明だけして自由に立ち入りを許すなんて、ものごとの順番を間違えているんじゃないだろうか…と思う。

除染、電気ガス水道などの復旧、瓦礫片付けなどの見通しを示さないのなら、警戒区域や計画的避難区域を解除した意味は乏しいはずだ。災害ボランティアにできるのはせいぜい瓦礫の片付けぐらいだ。

この日、援人隊は3つの場所にお手伝いに行っていた。

宮城県の南三陸町歌津には「イトウ号」が。継続お手伝い中のCさん宅で田んぼでの田植えのお手伝いに。
そして南相馬にはぼくが乗った「ワゴン援人号」が。
最後に「ヨネザワ号」+レンタルの軽トラックのチームが、つくば市北条へ。竜巻被害のニーズはすでに終息しつつあるとのことだったが、現地に確認を取った上で最後のお手伝いに向かった。

コメント / トラックバック2件 to “南相馬市小高区(旧警戒区域)で個人宅の瓦礫片付けのお手伝い (ボランティアチーム援人)”

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小高区へのボランティア作業、ご苦労様でした。お手伝いを受けたご家族の方は、中野様に感謝されたと思います。大きなショックを受けると、何から手をつけていいのか色々と思う事があり、思うように動けないことがあります。そのような時に、ボランティアの方々がいらっしゃると、とても助かると思います。自分の故郷がこのようなことになってしまい、私も残念で仕方ありません。中野様をはじめボランティアの方々の応援に感謝いたします。有難うございます。

あたたかいお言葉ありがとうございます。
これからもニーズがある限り、都合をつけてお手伝いに行きたいと思っています。


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