牡鹿半島の小網倉浜でお手伝いしてきた (ボランティアチーム援人)

Posted on 2012年5月25日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , |

2012年4月14日(土)、ボランティアチーム援人の大型バス「援人号」、宮城県石巻市の牡鹿半島行きの活動メモ。

お手伝い先は小網倉浜(こあみくらはま)、牡鹿半島の南端にある鮎川浜からバスで石巻側に20分ほど戻ったところ。被災した建物はすでに取り壊され、ある程度は綺麗に見える荒れ地での細かな瓦礫拾いがミッションだった。
この現場には、ぼくたち援人隊40人のほか、マイクロバスの団体、個人なども混じって100人ほどが入った。

牡鹿半島の小網倉浜で瓦礫片付け (援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Great East Japan Earthquake

作業スタート。
表面はそこそこ綺麗に見えたが、頭を覗かせているものを掘り起こすと、瓦、家電の一部、漁具、茶碗などさまざまなものが現われた。たとえば地表に出ている瓦を掘り起こすとその下にはさらに瓦が詰まっていて…という状態。誰かが「この下に屋根が丸ごと埋まっているんじゃないか」と呟いたけど、そういう表現も大げさではないなと思える状態。これを人手で元に戻そうというなら、まだまだ多くの力が必要だろうと感じた。

牡鹿半島の小網倉浜で瓦礫片付け (援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Great East Japan Earthquake

午後、チームは午前やった区域を仕上げる組、新たな区域で瓦礫拾いをする組に別れた。ぼくは後者だったが、こちらは瓦礫に加えて、津波で流れ込んだのか自然の石なのか判然としない岩石が地面から多数顔を出していた。細かいゴミを拾ってしまうとこれら大きな石を相手にするしかなく、後半は実にストレートな力仕事になった。

今回の援人号には、東北でのボランティアは初めてという人も7人ほど参加してくれた。
帰路の感想タイムでは、仕事でたまたま出会った被災地出身の人のことを思って、肉親を津波で亡くした友達のため、そして自分が立てた約束を守るため──と、この時期に初めてバスに乗った理由を語ってくれた。何人もが、これからも自身がボランティアを続けるだけでなく、この体験を周りに知らせたい、きっと伝えます、と語っていたのが印象的だった。

援人の活動目的のひとつは、“東北被災地が気になる、忘れられない”というひっかかりを持つ人を一人でも多く増やすこと。そういう広がりを、震災から13カ月経った今でも少しずつ生み出すことができるのは本当にうれしいことだ。

牡鹿半島のボランティア組織「Pikari支援プロジェクト」さんは4月から規模が縮小され、牡鹿公民館内の受付は、例の「距離じゃないね」の看板も外されていた。これまでのように多くのニーズに対応するのは難しくなってきているとのことだ。

牡鹿半島の小網倉浜で瓦礫片付け (援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Great East Japan Earthquake

2012年1月から続けている援人の牡鹿半島での活動はいつも雪に見舞われていたが、この日の午後に降ったのは雨だ。季節が変わった。
災害ボランティアもいろんな面で曲がり角を迎えている。復旧のためのボランティアのニーズが減ってくのは、もちろん自然なこと。が、局所的にでも手が必要なら、そのニーズを見極めながら援人はお手伝いを続けたいと思う。

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