「ボランティアチーム援人」の立ち上げ、牡鹿半島で2度のお手伝い、そして大型バス援人号でのハードなお手伝いまで

Posted on 2012年2月12日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , , |

2012年1月、昨年5月から震災の被災地に共にボランティアバスで通い続けた仲間たちと「ボランティアチーム援人(えんじん)」を立ち上げた。
去年乗っていたボラバスで「隊長」と呼ばれた伊東さんとぼくの共同代表制でのスタートだ。

いうまでもなく、100年に一度の大天災に襲われた東北の復旧復興は1年や2年で終わるものではない。そして階段を下っていく日本では「復興」の定義さえ変わっていくだろう。
そんな中で、今でも局所的には人手が足りない瓦礫撤去などのボランティアから、被災された方々の状況を知った上で新たな方法でのお手伝いまで、復旧復興の主役である東北の人々が前に進むための後押しをし、追い風となるよう、みんなの力でさまざまなアクションを行っていくためのネットワークをつくりたい。そんな思いで援人を立ち上げた。
活動は東日本大震災だけに限ることなく、いつどこで起こるかわからない次の災害に備え、いざというときには動くことができるネットワークになることもめざしたい。

援人は、1月から2月の初めにかけて宮城県の牡鹿半島に3回お手伝いに行ってきた。その様子を簡単に紹介したい。

1月21日は鮎川浜の社員寮でハードな瓦礫片づけ

ボランティアチーム 援人として初めて東北へお手伝いに行ったのは、2012年1月21日(土)。
現地のボラセン( 牡鹿ボランティアPikari支援プロジェクト )にずっと入っている高野君から情報をもらい、マイクロバスに相乗りで久々に宮城県の牡鹿半島に向かった。

お手伝い現場は、鮎川浜のボラセンから歩いてすぐの東北電力子会社の社員寮。4月からの復興計画が決まり急きょ取り壊す必要があるとのことで、ボランティアが動員されることになったようだ。

牡鹿半島鮎川浜で瓦礫撤去のお手伝い Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

建物内に入ってすぐ、まるで震災直後のようにさまざまなモノが散乱していることに驚いた。(実際には発災直後の状態であるわけはなく、遺体捜索や瓦礫運び出しのための最低限の動線作りは行われていたはず。)
そして、冷蔵庫、キャビネット、洗濯機、シンクなどの大物の運び出しも多数あるハードなお手伝いが始まった。

牡鹿半島鮎川浜で瓦礫撤去のお手伝い Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

作業はとてもハードで、東北の冬の寒さに備えて着込んだ体から汗が流れ出す。ヘッドライトなしでは進入できない部屋などもあり、ヘルメット(着用必須。ボラセンから貸し出された)は低い天井などにガンガン当たった。

牡鹿半島鮎川浜で瓦礫撤去のお手伝い Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

100人以上のチームが一斉に取りかかったため、午後には建物の前に膨大な瓦礫の山が積み上がった。

牡鹿半島鮎川浜で瓦礫撤去のお手伝い Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

作業後、汚れた作業着のままで記念撮影。

援人隊の記念撮影, 牡鹿半島鮎川浜で瓦礫撤去のお手伝い Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

直接のボランティア以外にも牡鹿でできるだけお金を使おうと、昼の弁当は仮設商店街「おしかのれん街」で注文し、夜ものれん街の飲食店で食事。朝から晩まで牡鹿半島を満喫する“オシカ濃度”の高いコースだった。

のれん街の店はあまり広くないので、チームは寿司屋、定食屋、中華屋に分かれて入店。ぼくは「黄金寿司」さんで上にぎりを注文し、捕鯨関連の施設がまだある牡鹿ならではの、鯨のにぎりが入ったおいしい寿司を堪能した。

黄金寿司(おしかのれん街), 牡鹿半島鮎川浜で瓦礫撤去のお手伝い Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

この日は、大原浜で精力的な支援を続けている奥田さん、仮設住宅訪問やサロン運営を続けるキャンナスの岸田さんが昼休みに訪ねてきてくれるなど、震災から10ヵ月が過ぎた今もまだまだがんばっている人たちがいる!と力が湧いてくるような日だった。

1月28日は小網倉浜で「大漁プロジェクト」さんのお手伝いをしてきた

1月28日(土)、「マイクロ援人号」は再び牡鹿半島へ。

小網倉浜(こあみくらはま)で120人超のチームの一員として瓦礫片づけ…と決まっていたのだが、現場近くで伊東さんがたまたま声をかけられたのが、この地区の復興に向け「小網倉浜大漁プロジェクト」に取り組んでいる阿部船長だった。

阿部さんからの急な要請を受け、現場の牡鹿Pikariプロジェクトのリーダーがその場でニーズ起こしのための聞き出しをし、ぼくらを大漁プロジェクトのお手伝いに回してくれた。やり取りをそばで見ていたぼくは、もしかしたら杓子定規な対応をされるのでは…とドキドキしたのだが、血の通った判断をしているんだなぁ、と感心した。

この日のお手伝いはイワシの串刺し、天日干し(「ガラ干し」というらしい)、箱詰めまでの作業。イワシは、この小網倉浜でカツオ漁の「活餌」として蓄養されているそうだ。

新鮮で大ぶりなイワシを、浴槽を二回りほど大きくしたような容器に流し込み塩を混ぜる。しばらくしたらザルですくい、ステンレスの大きな作業台にぶちまける。山からとってきてナタで整えた竹に40匹ずつ刺していき、天日干しする…という作業を、地元の人に混じってスタート。

牡鹿半島の小網倉浜でボランティア(ボランティアチーム援人) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

ぼくらが働いているそばでは、漁師の方たちがドラム缶の焚火でイワシを焼きはじめ、休憩時間になるとふるまってくれた。アツアツのそれを頭から丸かじりしたが、脂ののったホクホクの身はもちろん新鮮なワタまでうまいこと!

昼食時間にも大量に焼いていただき、みんなの弁当の白飯の上には焼きたてのイワシが湯気を上げていた。

牡鹿半島の小網倉浜でボランティア(ボランティアチーム援人) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

エラから刺して口から出すという作業は案外覚えやすく、ぼくはおばさんたちのスピードにすぐ追いついた。周りを見ると、すぐコツを掴む人から最後まで悪戦苦闘する人までさまざまだ。

沈鬱な気持ちになることも多い瓦礫撤去などの作業と違い、この日の作業自体には震災の暗さは少しもなく、職業体験ツアーのような明るさと楽しさ。しかも、ちゃんとお手伝いができているという実感も伴っていた。

牡鹿半島の小網倉浜でボランティア(ボランティアチーム援人) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

作業が終わる頃には、イワシ約160匹が詰められた発泡スチロールの箱が数十箱積み上がった。

最後に記念撮影。快晴であまり強い風も吹かない日だったが、この頃になると雪が降り出していた。

牡鹿半島の小網倉浜でボランティア(ボランティアチーム援人) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

ぼくらがお手伝いしたこの作業の様子は、大漁プロジェクトさんのブログにも掲載されている。

We are the 大漁プロジェクト公式Blog : いわし丸干し大作戦
http://blog.livedoor.jp/tairyoproject/archives/6654223.html

そして2月3日、初の大型バス「援人号」で再び牡鹿半島へ

2月3日(金)、大型バスを貸し切っての「援人号」が牡鹿半島へお手伝いに。まだ無名のグループであるぼくらが、定員の43人を集めることができ1人のキャンセルもなく出発することができたのは、本当にうれしかった。

牡鹿半島の鮫浦でボランティア(援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

今年は東北の沿岸部でも雪が多いそうだ。石巻を過ぎ、牡鹿半島に入っても平地のほとんどは雪に覆われていた。

牡鹿半島の鮫浦でボランティア(援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

お手伝い場所は鮎川浜から30分ほど、東岸の鮫浦(さめのうら)。
鮫浦湾はここをはじめ、寄磯浜、大谷川浜、谷川浜も津波で壊滅的な打撃を受けたという。

二つの高台に挟まれた平地に、被災前は鮫浦の集落があった。高台にはそれぞれ五十鈴神社と熊野神社という二つの神社がある(地元では男神社、女神社とも呼んでいるという)。

牡鹿半島の鮫浦でボランティア(援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

二班に分かれ、神社の参道の修復と側溝の泥出しをスタート。ぼくは側溝のチームに。

雪と氷に閉ざされた側溝は蓋開けから苦労の連続で、詰まっていた泥や瓦礫は恐ろしいほど硬く、ツルハシを振るうと肩や腕より先に手の平が痺れで麻痺した。それでも約20人の協働の成果は目覚ましく、午前中だけで100m近く進んでいた。

牡鹿半島の鮫浦でボランティア(援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

昼休みを挟んで、多くの人数が参道修復のための土のう作りに振り向けられた。

牡鹿半島の鮫浦でボランティア(援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

土のうで崩れ落ちた参道を修復するチーム。一時土のう袋がなくなったため、土を袋から出す作業と土のうを積み上げるという作業を並行して続けていた。

牡鹿半島の鮫浦でボランティア(援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

14時過ぎ、ぼくは数人で五十鈴神社に応急の道をつける作業にかかった。
粘土質の崖は手強い。最初から最後まで嫌というほどツルハシを振るう日になった。

休憩──というか手に力が入らず立ち尽くす時間──を何度も入れながら作業していると、普段着の男性が靴を泥で汚しながら神社に登ってきた。聞くと、鮫浦の自宅が被災して今は仮設に住む人で、家族から厄落としに行ってこいと言われてお参りに来たという。雪の中、ぼくらがまさに道を付けているところを神社に登っていった。
その姿を見て、不思議な感慨が胸に湧き上がった。

キツいお手伝いを終え、引き揚げ途中に小さな砂浜で長靴を洗う。雪が横殴りに降っていた。

牡鹿半島の鮫浦でボランティア(援人号) Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami of Tohoku Earthquake

というわけで「ボランティアチーム援人」の活動はスタートした。

ぼくは去年5月から東北へお手伝いに行くボランティアバスに乗り続け、往路の自己紹介タイム、帰路の感想タイムなどで数百人の言葉を聞いたと思う。そんな中で特に心を打たれるのは、さほど社交的なタイプでなく、高い行動力がありそうでもなく、体力もあるように見えない人が、参加に至った思いや現地を見て感じたことを、あまりうまいとはいえない話し方で話すときだ。

初めて出した大型バス「援人号」にもそんな人が乗ってくれていて、あぁぼくはこういう人たちと共に支援を続けたいと思ったんだったっけ、と思い出した。

ボランティアをする者が強かったり、人より賢明である必要はない。また集団がそういう風を吹かせる必要もない。弱い者の方が弱い者をよく助けるからだ。
だから、「困っている人がいるなら、弱い自分であっても何かしたい」という思いを抱く普通の人たちが集まることができる場、力を集められる器として援人を続けていきたい、改めてそう思う。

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ナ力ノさんおはようございます.ひさしぶりで被災地の復舊情況がくわしく分ります.ご苦勞樣でした.見ればまだまだ時間がかかる樣ですね.春になったらもっと多くのボランティアが行くと良いですね…寒いからお体に氣をつけて下さい.

akitsaiさん、いつも読んでいただいてありがとうございます。
そうなんです、瓦礫の片付けさえ、中心部はようやく終わってきましたが手の届きづらい僻地では進んでいません。1年経とうというのにまだ残っています。
さらに、東日本大震災で生まれた瓦礫は約2000万トン以上で、被災地だけでは到底処理しきれないという問題もあります。
まだまだ、できることをお手伝いしていきたいと思います。(^-^)

akitsaiさんに紹介されて訪れました。

テレビの報道でしか分からないけど、
まずは瓦礫の処分ですね。
東京都に続き今日は静岡でも試験処理を行う事になり、
他県の協力もどんどん増えるといいですね。

寒い中での瓦礫の撤去などお疲れさまでした。


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