南三陸町の歌津伊里前でお手伝いし、「遠い親戚を助けるようなボランティア」の意義を考えた話

Posted on 2011年12月9日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , , |

4月末から毎週東北被災地へ通うボランティアバス「レーベン号」、2011年12月2日、28回めのお手伝いの記録。

23時過ぎ、小雨が降ったり止んだりの日比谷。この日は二号車が先に、次いでつくばからの参加者を載せた一号車がやってきた。

日比谷, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

今回から新たなペイントが施された二号車は陸前高田行き。乗ったメンバーの間では、もう“天使号”とか呼ばれているらしい。

日比谷, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

南三陸行きの一号車は、今回伊東隊長がリーダーだ。ぼくは南三陸町の北部、歌津伊里前の個人宅へ別働隊の1人としてお手伝いに行くことになっていた。
つまり、久々に“一参加者”の気分。この日の一号車はリピーターが多いせいか普段以上に和やかな空気が流れ、初期のレーベン号のようだった。バス自体もレーベン隊のはじまりである一号車だし。

レーベン一号, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

深夜に疾走するバスの中で、いよいよ来週に迫った「信州号」──レーベン隊に2回参加した高井さんが立ち上げた長野県発のボラバス。18人以上の参加で実現するため皆で集客をがんばった結果、この日はもう満席目前という状況だった──についてFacebookでのやり取りに参加しながらも、気持ちは相当リラックス。リーダーとして乗るときは気を張っているんだな、と気づく。

こんなことを考えてみた。
「週末はレーベン号に乗って東北へ」は、もうぼくの生活の一部だ。そのモチベーションは色々なもので成り立っているけど、それらを一つずつ外していったら最後に何が残るだろう、と。
東北はもう冬になり、屋外活動は厳しい時季だ。もっともっと寒くなっても行くか? ──当然行く。
参加費が今の倍だったらどうする? ──それでもできる限り毎週乗ると思う。
沢山の仲間がいるレーベン号でなく、他人だらけの殺伐としたバスでも行くか? ──行くと思う、だいぶ寂しいものになるだろうけど。レーベン号も最初は知らない人ばかりだった…。

バスは7時前に南三陸町に入った。青ざめた空の下、荒廃した景色が始まる。

宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

仮設のセブンイレブン(天王前店)。ここで別働隊4人は、ボランティアセンターに行く一号車から、45号線(東浜街道)を通って陸前高田に向かう二号車に一時的に乗り換える。

セブンイレブン志津川天王前仮設店舗, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

歌津伊里前の千葉さん宅に到着。今日の4人(“西遊記”チームと呼ばれている)のうち、ぼくを除く西坂さん、嶋方さん、泉田さんはすでに千葉さんと顔見知りだ(ぼくは前回ご挨拶した程度)。

歌津伊里前, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

レーベン隊が千葉さん宅をお手伝いすることになったきっかけは、以前ボランティアに訪れたどなたかが描いた「ボランティアぼしゅう中 1分~何時間でもOK」という看板を、伊東隊長が見かけたことだ。詳しい経緯は「Daily, 10/28-29 南三陸町歌津伊里前」にある。

歌津伊里前, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

今日のお手伝いは、まずこの看板を丁寧に取り外すことからスタートした。この日、築約70年という千葉邸は取り壊される予定の日だったのだ(この後雨が本降りになり、最終的には延期になったが)。

このお宅を熱心に手伝っている泉田さんの計画では、敷地内や田んぼなど多くの作業項目がある。が、この日は雨でもあり、家の解体が迫っていることから最後の屋内片付けとなった。
まずはバールを使い、再利用できそうな床板を外していく作業(ぼくは初めての経験。終わる頃にはバール使いレベル2ぐらいにはなったと思う)。

歌津伊里前, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

その後、床下に散乱したガラスや木、紙、わずかだが家財道具などを拾い集めていった。

歌津伊里前, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

襖の下張りとして使われたらしい古い新聞が床下に多数散乱していた。見ると、なんと昭和20年代のものだ。
ひとつは昭和23年8月16日の河北新報で、「韓国 きのう独立式典 南北統一 必ず実現 マ元帥祝辞 自由の精神不滅」と読める。

歌津伊里前, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

他にも沢山あったので、作業の手を止めて何枚か写真を撮らせてもらった。

読売新聞 昭和23年11月15日 東京判決の世界的意義 横田喜三郎
古橋また世界新 ジヤニーを2秒2縮む 四百に4分33秒
…現在フランスで正当に武装した部隊はわずか二個師団である これをもつてはいかなる名案もない、ヴィシー派の嫌疑が晴れて復帰し、フランス軍部の大御所の席についたヴェーガン将軍将軍はタツシーニの…
気仙沼湾のカキ 順調な成育ぶり 出廻りは年末か
オカアサン 神戸市法妙寺国民学校 初一 平見和子
訓練靴 見よ!! 独占的 此の猛烈なる売行を

昼食時、歩いて3分ほどの伊里前小学校に仮設トイレを借りにいった。校庭の半分ほどには仮設住宅が立ち並ぶ。グラウンドの先には伊里前湾が見えていた。

伊里前小学校, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

昼食は家財道具を一時的に保管しているテント内で。あたたかいコーヒーやお茶がうれしかった。

千葉さんから、これまでお手伝いしたボランティアたちがメッセージやイラストを書きこんだノート(すでに百数十人分!)を見せていただきながら、いろいろなエピソードを聞く。オーストラリアや台湾から手伝いに来た人の話も。聞いていて感じたのは、千葉さんは「助けてほしい」と正しく声を挙げることができる人なんだな、ということだ。

歌津伊里前, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

土台の下に挟まったトタンを掘り起こしたり、電灯を外したりし、作業は終わった。
お手伝いの最後に、千葉さんを交えて記念撮影。

歌津伊里前, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

ほどなくレーベン一号が迎えに来た。波に大きく浸食された荒れ地、橋脚だけになった歌津バイパスの横を縫うように。

宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

5月からの東北ボランティア経験の中で、ボランティアセンター経由でないお手伝いはぼくにとってこの日が初めてだった。そして、依頼主ご本人が傍でずっと一緒に作業をするというのも新鮮な体験だった
ぼくらが“ゴミ”として集めていくものを千葉さんが見やる目、家の作りについて話すこと。そして作業しながら時折漏らす、家の解体することへの複雑な思い。

震災直後、ぼくは「自分が震災被災地の人たちに対して何をすべきか」について、こんなことを考えた。

このときはまだモノやお金の支援しか念頭になかったが、今回の千葉邸でのお手伝いでは、「何親等めかの親戚」の手助けをするってこういうことなんだろう、と思った。
この震災の被害はあまりにも甚大で、地縁血縁だけでは到底必要な手を賄いきれない。そこでボランティアセンターがニーズを大量に仕入れ、ボランティアという人手が大量一括投入される。それは必要なやり方だが、手助けをする側が被災地を深く理解し、困窮する人に正しく同情するために必要なディテールを削ぎ落してしまう。そんな面もある。

気仙沼に到着。
気仙沼プラザホテルで入浴後、結構強い雨の中気仙沼横丁へ、そして迷わず「あたみ屋」へ。

あたみ屋(気仙沼横丁), 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

みそラーメンをリピートしたかったんだけど、「あるけど、ちょっと調子悪い」(とかそんな言い訳だったと思う)とのことで、生ビール、ラーメン、餃子。遅れてきた仲間と共におばちゃんとの会話を楽しんでいると、TokyoFMの番組のインタビューだとかで、「ヒルクライム」という2人組が店に入ってきた。

ナタリー – 「気仙沼横町」ラジオ収録にヒルクライムらゲスト出演
http://natalie.mu/music/news/60746
(※記事の見出しは「横町」だけど、正しくは「横丁」です。)

あたみ屋(気仙沼横丁), 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

いきなり始まったおばちゃん(あたみ屋の店主)へのインタビューに、店内の客は聞き入ることになった。

「…『あたみ屋』ではなく『五右衛門ラーメン』というお店を30年以上やっていたのよ(調べてみると、階上にあったらしい)。そのお店は、津波で全部流されてしまったの。
避難所では、自衛隊と一緒に1800人に炊き出しをしたりしてがんばった。
仮設に入ってから暇にしていると、周りの人から『またお店をやったらいいじゃん』と何度か勧められて、この屋台村にダメもとで応募してみた。そうしたら当選して。店を開いたら、店名は前とは違うのに私の名前で探して来てくれた人たちや、店の前で声を聞いて気づいた人たちなどが何人も来てくれて、抱き合って喜んだの。
避難所にいたときは、全国から見ず知らずの人が来て助けてくれたことにとても感謝しています。そして店を開くと決まってからは全国から物資が届いて、それを感謝しながら使っています。
今は元気で働くことが、恩返しだと思ってます…」

帰り際、横丁の広場で見たクリスマスツリー。この地区を襲った津波と同じ高さの8mだという。

気仙沼横丁のクリスマスツリー, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

帰路、長者原SAで久々に猫を見かけた。以前よく会った灰猫くんではなく黒白・ハチワレ・白足袋くん。リュックに常備しているカリカリを取ってきてやると、半分ぐらい食べたところでキッパリそっぽを向き、やがて散歩に行ってしまった(笑)。

長者原SAの猫, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

夜中のバス内で、“何親等か離れた親戚を手伝うこと”について考え続けた。
震災前、ぼくは「プロボノ(スキル・ボランティア)」に心酔し、実際にプロボノをやってきた。震災後は、毎週東北へ行き自分の専門スキルと関係なくボランティアをしている。その意義は、“何親等か離れた親戚”に引き寄せて考えてみれば明らかなんじゃないか。今やっていることは、専門科目に対するリベラルアーツ(一般教養)みたいなものではないか。「親戚を助ける」ことは、震災後の日本人にとって必修科目なのだ、と。

早朝4時過ぎ、レーベン号は東京駅前に到着した。

日比谷, 宮城県南三陸町で瓦礫撤去ボランティア(レーベン号) Volunteer at Minamisanrikucho, Miyagi pref. Entire town destroyed by the tsunami of Great East Japan Earthquake

また行きます。
来週はいよいよ、長野発のボラバス「信州号」と陸前高田で協働予定!そしてあたみ屋さんで、今度こそみそラーメンを食べる予定。

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