レーベン号牡鹿半島行きラスト便、小渕浜で解体される個人宅の片づけをしてきた話

Posted on 2011年11月8日. Filed under: 未分類 |

2011年11月4日(金)、ボランティアバスレーベン号の東北でのお手伝い24回めの記録。

23時ごろ、日比谷公園前に先に一号車が到着した。今夜は、こちらが牡鹿半島への最終便となる。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

30分ほど後に、今回から投入された“新”二号車が到着。こちらが陸前高田行き。白い車体には、一号・旧二号に比べさらに大きな「手を貸すぜ 東北」の文字が。

“新”2号, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

見たところ、陸前高田行きには女性のボランティア初心者が多く、牡鹿半島行きはレーベン号のリピーター東北ボランティア経験者男性が多い。知名度の低い牡鹿半島行きは、明らかに人を選ぶ感じだ。

この日、牡鹿行き二号車には、リピーター有志が持ち寄ったLED電球(牡鹿VCがTwitterで呼びかけていたもの)数個と、食料(牡鹿VCのスタッフ用にぼくが勝手に募ったもの。もちろん事前に電話確認済み)が段ボール2箱分積み込まれた。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

土曜日の朝、天気予報では晴れだったが、空は曇っている。
二号車は三陸道を鳴瀬奥松島ICで出て、朝食購入のために「サンクス矢本インター店」に停車した。ここは、レーベン隊が「東松島元気フェスタ」の応援に伺った際にも立ち寄ったところだ。

サンクス矢本インター店, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

店内で、自衛隊松島基地を抱える東松島らしい「がんばろう日本、甦れ!F-2B」というプラモデルを発見(買えばよかった…と今後悔中)。

がんばろう日本 蘇れ!F2B, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

(東松島には関係ないけど、)@uqaが着ているのは通称“鹿T”( 購入先: Thank you for your LOVE! )。収益はすべて旧牡鹿町の子どもたちのために使われる。そして牡鹿半島でのボランティア時にこれを着ると戦闘力が+5されるという。残念ながら、今日が最初で最後の晴れ舞台になったけど。

鹿T, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

バスが石巻の荒廃した沿岸部を行くなか──本当は参加者に外の光景を見てほしいんだけど、このタイミングしかないということで──自己紹介タイム。

ちょっと驚いたが、ご両親が牡鹿半島に住んでいるという女性が乗っていた。牡鹿でのボランティアには何度も参加していて、牡鹿のココストアでレーベン号を見かけて(!)今回参加することにしたと。込み上げる思いを抑えきれないような話し方に、朝からいきなりやられてしまった。
バスはいろんな思いを乗せて牡鹿半島へ向かう。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

牡鹿半島に入る手前、渡波(わたのは)小学校を過ぎた交差点で、岩手県奥州市から駆けつけた徳田さんが合流。

今回は最後なので、牡鹿半島の入口から鮎川浜の牡鹿公民館までの道程を、写真をやや多めに使って紹介する。

海沿いをうねるように続く牡鹿半島の道路は、アップダウンが多い。そして沿道の低地は、ほぼ例外なく津波にやられており、粗く均された地面が広がっている。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

一階部分をブルーシートで塞いである山側の家は、解体を待つばかりなのだろう(業者は多忙で、順番待ちになっていると聞いた)。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

斜面から土砂が崩れているため、一方通行になっている場所がいくつかある。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

道路はひび割れが多い。路肩が崩落しているところもある。

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小さな港がいくつかある。静かな海と荒れた浜の対照。

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荒れた平地の向こうに漁船が何隻か停泊しているのが見えた。

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半島の営み、漁業が再開されつつあるんだろうか。小さな船団だが、頼もしいという思いが湧いてきた。

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8時過ぎにココストア牡鹿店に立ち寄り、今日のお昼ご飯を購入。また今回も弁当類がやや品薄だったけど…店の人によれば「ワカメ(養殖の種付け?)の人たちが沢山買っちゃったのよ」とのこと。それはそれでいいことだ。

ココストア牡鹿店, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

11月13日投票の宮城県議会議員選挙の掲示板があった。やはり「復興」の文字が多く見える。

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鮎川浜に到着。
左側は3階まで津波の跡が残る集合住宅。中央奥、高台の赤い屋根は牡鹿総合支所だ。そしてその右隣のゆるやかな三角屋根が旧牡鹿公民館。震災で傷ついているが、牡鹿ボランティアセンターの自主運営中を続ける有志たちが寝泊まりしているところだ。

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受付を済ませた後で物資を運び込む。

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今日のお手伝い先は、1回め・2回めにも行った小渕浜(こぶちはま)だった。
解体予定の2軒の個人宅から、廃棄予定の家財道具などを運び出す作業だという。

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(これ以降、個人のお宅を特定しやすい全景写真は掲載を控えたので、ちょっと作業イメージがわかりづらいかもしれません。)

レーベン隊より先に到着していた千葉の「なの花交通」のツアーの方々に合流させていただき、途中まで共同で作業をすることになった。

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屋内から家具、生活用品、絨毯、食器などをどんどん運び出していく。

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運び出したものは、家電、木材、金属などと大雑把に分け、前の荒れ地(元は畑だったところ)に積み上げる。

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1回めの休憩の後、両隊それぞれ1軒ずつの担当に分かれた。
レーベン隊が入ったお宅は、奥に作業小屋兼物置の棟があり、そこに精米機など金属製の大物が。まずそこに男手を集中させる。

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床にはさまざまなゴミが堆積し、手前の一部屋は浸水しヘドロ化していた。

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お昼休憩。空の雲は徐々に薄くなり、青みが増してきた。

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昼食後、港の方を歩いてみる。津波で倒壊したままの防潮堤。コンクリートの地面もところどころ沈下してガタガタだ。

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岸壁の突端部分はコンクリートが割れ、海の方へなだらかに落ち込んでいる。その先に船がつながれていた。

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港まで突き出した山の斜面には、まだ瓦礫が引っかかったままだ。震災からそろそろ8カ月、漁も再開されつつあるのに。

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午後。奥の小屋の一階部分を床のゴミも含めて一掃したことで、二階へのアクセスが開けた。長いリレーを組み、そこからさまざまなものを運び出す。旅行鞄、洋服、客用布団、スポーツ用具、古いステレオ、レコード、大きなぬいぐるみ…。

道路脇では、女性たちが思い出の品(写真や証書など)探し、使えるものの仕分けを無心で行う。写真には車いすも見える。感想タイムで「持ち主の方はどうなったのか。ご無事であることを祈ります」と話した人がいた。

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全てが運び出された室内を、何人かの女性が丹念に掃き掃除した。ボラセンの方に「そこまではいいですから」と言われるまで。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

最後に、家の脇に土砂と共に埋もれていた漁網、リヤカー、自転車などの大物を運び出し、14時40分ごろにお手伝い終了。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

そういえば、午後1回めの休憩を取っているとき、初参加の若い女性二人が申し訳なさそうな顔でぼくの前にやってきた。昼休み、近くにプレハブを建てて住むお年寄り夫婦に声をかけられ、お宅にお邪魔していた。お茶だけでなく、今日の“開港日”(アワビ漁の解禁日?)に朝から獲ってきたアワビの刺身などをいただいてしまった。遅くなってすみません、とのことだった。
ぼくは、現地の方とお話ができるのは貴重なことだし、それもボランティアにとって大切な仕事だから気にする必要はないよ、今回はラッキーだったね、と話した。

リーダーとしての今回の反省。
前回に続いて、またもややオーバーペース気味だった。疲れは怪我のもと。もっと皆をよく見て、人員配置をよく考えて、声かけも増やそう、と決意(毎回この反省をしている気も…)。

鮎川浜の公民館に戻って作業報告書を書き、やや去りがたい思いで牡鹿ボラセンを出る。
バスの前で記念撮影。(大きなサイズは こちら )

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

ボラセン前に焼きいも(売り切れ)とおでんを売る車が出ていた。里いもと油揚げをいただく。素朴でおいしかった。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

帰路、石巻まで戻って道の駅上品の郷(じょうぼんのさと)へ。ふたごの湯で入浴、食堂で夕食。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

農産物直売所は、生産者の名前付き野菜・果物のほか、海産物、加工品、お菓子などのお土産が充実した広いショップだ。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

帰路についたバス内で感想タイム。印象的だったものをいくつか。

「バスを見て、現地のおじさんが笑顔で手を振ってくれた。私たちが行くことが喜ばれているんだな、と実感した
「景色の美しさや海の静けさと、倒れそうな建物や瓦礫とのギャップにショックを受けた」
「ここは冬にはどうなるのだろう、と考えた。現地には何度も行けないけど、戻ってもできることをやりたい
最後にお家をきれいにしてあげることができた。持ち主の方も、少し気持ちよく取り壊せるのではないか」
「私はものを捨てられないタイプなので、まだ使える食器などを捨てなければならないのが本当に悲しかった
私たちが今日運んだのは『瓦礫』と呼ぶしかないものかもしれないだけど、今日運んだものをちゃんと覚えておきたい

何人かから「レーベン号の牡鹿行きは最後と聞いて乗った」「また牡鹿に行きたい」「来年ぜひ再開してください」という声が挙がった。牡鹿行きの言いだしっぺであるぼくが気圧されるぐらいのアツさだ
もちろんぼくも忘れられない。春になって、その頃まだニーズがあるなら、ぜひお手伝いに行きたい。

レーベン号の帰着は、今回から東京駅前に朝4時半ごろ着き、その後つくば駅に6時ごろ帰着という流れに変更された。レーベンさんにとっては負担増になるのだが、東京発の参加者が増えたことから社長が決めたものだ。

東京に近づき、徐々に情報量が増えてくる景色を眺めながら、本当に「綺麗」な街だな、と思った。美しいという意味ではない。細かな部品を微妙なバランスで組み合わせた、精緻だが弱々しいペーパークラフトのように見える。
ここが壊れるときを想像してしまう。毎週被災地で沢山の「壊れたもの」を眺め、手に取っているからかもしれない。
そして東京は、深夜3時でも煌々と電気が灯っていた。冬の早い日暮れと共に不気味な暗闇に包まれる陸前高田や石巻と同じ国にある都市だとは、本当に信じられない。

東京駅に到着。つくばへ向かうレーベン号を見送る東京組の参加者たち。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Kobuchihama, Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected by the Tsunami

東北でのお手伝い、まだまだ続けます。レーベン隊の皆と共に!

コメント / トラックバック5件 to “レーベン号牡鹿半島行きラスト便、小渕浜で解体される個人宅の片づけをしてきた話”

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ナ力ノ樣今晚は.牡鹿までバスで何時間かかるのですか.バスにゆられるだけでも疲れが出るのじやないですか.あのきれいにお掃除した家も取り毁すのでせうか.又住める樣に見えますが.ボランティアの助けで復與も近いと信じますよ..

東京から宮城県の牡鹿半島まで、およそ8~9時間かかります。バスで寝るのは、毎週なのでもう慣れました。(^ ^)
お手伝いしたお宅は、残念ながら取り壊すそうです。津波を被って傷んでいるところもあったので、そのように判断されたんだと思います。

復旧・復興はまだまだ時間がかかりますね。これからきっと地域によっても差が出てくるだろうと思います。手の届きづらいところをお手伝いしていきたいと思ってます。

お世話になりました。当日、牡鹿VCでヘルプに入っていた者(♀)です。
なの花さんもレーベンさんも、リーダーに相談しながらできましたので、スムーズに作業が進みました。また、作業がとてもみなさん丁寧で、ありがたかったです。最後の掃き掃除ですが、取り壊しが決定されていたので、止めさせていただきました。依頼主のために綺麗にしたいという気持ち、とても心に残りました。

みなさん、集まった方とは思えないくらいのチームワークがあったのは、やはり、リーダーの中野さんの力は大きいと思います。これからは、牡鹿にはしばらく来られないそうですが、他の被災地のみなさんのために、ご活躍ください。ありがとうございました。また、一緒にお手伝いさせていただきたいです。

それでは、怪我に気をつけて♪

私は、23日から1週間また牡鹿でお世話になります。

はじめまして。ThankYouForYourLOVE!を管理している者です。
牡鹿の小渕のことに関して調べていたらこちらにたどりつきました。そして、鹿Tが!!!
ちっちゃーくしか広げられなくていたけど、鹿T着てボランティアしてくださってる方がいらしたなんて感激でした。
そしてそして、大原中学校の仮設住宅にもいかれたんですね!なにもかもなくなった裏浜の人たちが住んでいます。
私の地元の大谷川のみんなも住んでいます。
体育館の写真に●●んちのおんちゃんだ!!って母とニヤついちゃいました。
仮設で暮らすみんなは、ボランティアさんにとっても感謝しています。
ばっぱたちは、孫の自慢のようにボランティアさんにこんなことしてもらったあんなことしてもらったと自慢します。笑
また、機会がありましたら牡鹿に来てくださいね。

>ひろみさん
こちらでもコメントありがとうございます!
おぉ、大谷川ご出身なんですね。旧大原中の仮設住宅の方々には、ぼくらのバスにトラブルがあった際本当によくしていただきました。
これまでお手伝いに行った場所の中でも、牡鹿半島は特に印象に残っている場所のひとつです。また行きたいと思っています。


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