レーベン号の東北被災地行き20回め、「ボランティア不足」の情報を見て宮城県の牡鹿半島でお手伝いしてきた話

Posted on 2011年10月14日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , , |

2011年9月30日(金)、ボランティアバスレーベン号の震災被災地行きは、ついに20回めを迎えた。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

4月29日の1回め、石巻に始まり(このときぼくはまだ参加せず)、気仙沼南三陸町東松島大船渡、そして最近は陸前高田に通っている。悪天候による中止を除き、バスは毎週欠かさず東北へ向かう。2回め以降はぼくもずっと参加中だ。

すごいことだと思う。
半年を過ぎてなお、レーベンさんが手弁当でバスを出し続けていることも、今も毎週70人が集うことも(集まりが厳しいときもあるけど)。

9月末のある日、石巻市牡鹿ボランティアセンター(@ishinomakiovc)さんのこんなTweetを目にした。

3.11震災が起こると、Twitterでは「○○地方は今どうなってますか」「××が足りません。送ってください」「△△さんを探しています」といった声が爆発的に飛び交った。そういう声に多くの人が素直に共鳴し、情報を提供し物資を集め専門スキルを提供し──という自発的な動きを見せた。「3.11震災を機に日本は変わる」と感じた人も少なくなかったはずだ。

毎週東北に行っているぼくだが、帰路にバス内で行われる感想タイムで、初参加の人の感想に教えられることが多くなってきた。あまり自覚はないが、慣れで感覚が鈍り、見たもの・感じたことを、パターンに当てはめて判断することが増えたためだろう。お手伝いに行っている先にちゃんと目が向いているか注意深く耳を傾けているか、と自問することがある。

牡鹿VCのTweetを見て、あの頃の感覚がちょっと蘇った気がした。

そこで社長に許可をもらって、電話をかけてみた。その内容を社長やリーダー伊東さんと共有、ぼくが乗る2号車だけ、牡鹿半島に行ってみることが決まった。急な変更だったが、すぐにリピーターの数人から「実は気になっていた」「ぜひ牡鹿に行ってみたい」という反応があったのはうれしかった。

この週末は3連休なので、サービスエリアはどこも満杯ぎみだ。
そんな中、何度めかの休憩で立ち寄った菅生サービスエリアで、陸前高田へ向かう1号車と牡鹿半島へ行く2号車が別れる。

朝焼けの中、2号車は初めての道、仙台南部道路を行く。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

「東松島元気フェスタ」でお邪魔した東松島市を経て石巻へ。
津波の爪跡は広範囲に見える。解体を待つだけの壊れかけの家、店舗、工場の姿。そんな中に、補修をして営業を再開した店舗もある。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami
橋を渡り、いよいよ牡鹿半島に入った。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

今回の目的地は、半島の南端に近い鮎川浜の牡鹿公民館だ。
道路は山間を縫うようにうねり、アップダウンが多い。アスファルトがひび割れ、路肩部分が崩れているところもある。補修中で一車線になっているところも度々出てきた。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

美しい海。…いや、ここは万石浦(まんごくうら)?

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

ときどき道路が海沿いに下っていくと、小さな港を囲む集落の跡が現われる。建物の土台だけが残る荒れ地。面積は小さいが、陸前高田や南三陸町などとそっくりな光景だ。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

津波のせいだろう、潮枯れで変色してしまった林。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

半島を南下していくにつれ、被災した姿のままで放置された建物が増えてくるようだ。
道路を挟んで山側には、さほど高くもない台地に小規模な仮設住宅があったりする。こんな高さで大丈夫かな…と思ってしまう。

バス内から見る限り、土曜日のせいもあるだろうが、立ち働く人や営業中の店など人気(ひとけ)をほとんど感じない。
目的地までの道でやっていたのは、Coco!ストアというコンビニ一軒だけだった。

牡鹿ボランティアセンター(牡鹿公民館内)に到着。
この公民館、結構古い建物であるだけでなく、天井が一部落ちていたり、階段の手すりの片方がなかったり、内外装ともに結構ボロい。市街戦があった後みたいだ、と思った。

牡鹿ボランティアセンター Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

レーベン隊が着いたとき、公民館の周りの広い駐車場にボラバスの姿はなく、個人ボランティアの自家用車が数台停まっているだけだった。館内にも人はまばら。行き慣れた陸前高田VCの活気と比べると、かなりひっそりしている。

「石巻市社協ボランティアセンターSTAFF」というビブスを来たボラセンの人たちのオリエンも、ちょっと簡素な感じだ。事前に「40人分の道具はありますか」と電話確認したところ「あります」と言われていたのだが、その道具も15人分しかないという。

今日のお手伝い場所は「小渕浜(こぶちはま)」の「五十鈴神社」での草刈り・掃除と決まった。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

ニーズ票を見ると、この作業は約1ヵ月前に要請されていたもの。「ボランティア不足」のひとつの目安になるかもしれない。

南下してきた道を再び北上、小渕浜まで大型バスは入れないため、Coco!ストアにバスを停めて10分ほど歩くことになる。

バスを降り、海沿いの低地へ下っていくと、瓦礫が散乱した荒れ地が広がっている。
途中の高台には、平地の家を津波で流された方なのか、最近建てたと思われるプレハブ住宅が何棟かあった。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

小渕浜に到着。手前の鳥居が五十鈴神社、奥が(文字が落ちてしまっているが)表浜漁業共同組合の建物だ。(後で聞いたが、これは古い方で現在は移転しているらしい。)

五十鈴神社, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

ちなみに、この小渕浜周辺ではこんな復興プロジェクトが行われているらしい。

小渕浜通信<漁業復興・獅子舞復活・あたご荘復活>
http://www.kobuchihama.com/
表浜漁業再生プロジェクト
http://omotehama.com/

作業開始。(「写真を撮らないでください」と言われたため、以降作業中の写真はなし。)

41人のレーベン隊は、個人ボランティアの人たち数人と共に神社に続く階段脇や境内の草取りと瓦礫片付けをはじめる。4~5mの高さまで津波が駆け上がったのか、斜面にさまざまなものが引っかかっていた。草を刈る、土のう袋に詰める、折れた枝を集める、ガラスや金属を拾う、階段を掃く──初対面の人も多いチームだが、みんな自律的に動き、緊密なチームワークで作業が進んでいく。

昼ごろまでにはおおよそ片付いてしまった。

昼食は海沿いでめいめい食べる。
写真ではわかりづらいが、1mほど地面が沈下しているらしく、本来の岸壁の上に砂利を敷き、端を砂利を詰めた袋で固めてある。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

どこからともなく猫がやってきた。この後も2匹3匹と。野良猫に優しい地域らしい。

牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

午後、現地で活動中のSさんがボラセンと連絡を取り、神社の隣にある表浜漁協の片付けにかかることになった。

漁協裏の斜面には、大量の瓦礫と倒木が積み重なっていた。
二列のリレーを組んで、住宅の建材や漁具、漁網など大物から運び出していく。作業を進めるにつれ見えてきたが、台風で崩れた土砂が覆いかぶさったのか、沢山の瓦礫が土中に埋もれている。掘り起こすと久々にキツいヘドロの匂い。おもちゃやアルバムなどの“思い出の品”もいくつか出てきた。

14時30分頃には斜面も片付き、撤収準備。

最後に、忘れ物がないかチェックするため1人で神社に上がった。
静かな境内は、「あっ」と小さな声を挙げてしまったほど、作業前とは印象が変わっていた。いいお手伝いができたな、と小さな満足感が湧いた。

神社の鳥居をくぐったところに碑がいくつか並んでいた。
その一つは「昭和8年」の「海嘯(かいしょう。今の言葉でいえば津波のこと)」、つまり1933年の昭和三陸地震による津波について記したもので、付近に家を建てることに警鐘を鳴らしていた。

牡鹿公民館に戻り、道具を返し、2階に上がって作業報告書を書く。「来週以降も40人で伺ってお手伝いすることはありそうですか?」と聞くと「まだあります」とのこと。また来よう、と思った。

バスは石巻へ。
(牡鹿半島まで予想以上に時間がかかったため、このときすでに当初予定の当日中つくば帰着は諦め、翌日早朝に戻ることが決まっていた。)

石巻, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

夕焼けの中、石巻の沿岸部を行く。
中央分離帯に、製缶工場から流されたという巨大な缶が残されている。

石巻, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

道の両端には瓦礫の山や、廃車となった車の山がときどき現われる。

石巻, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

が、わずかな家や建物が残る他は、地面の多くはすでに均され、小さな瓦礫混じりの荒れ地となっていた。

石巻, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

「元気の湯」でお風呂と夕食。
この温泉は、ブログ( 石巻市 天然温泉 元気の湯 )によると、津波でボイラー室が海水に浸かってしまい、機械類を交換して9月23日に再オープンしたばかり。その際に経営母体も変わったらしい。

元気の湯, 牡鹿半島小渕浜でボランティア Japan Earthquake Recovery Volunteer at Oshika Peninsula, Miyagi pref. Deeply Affected Area by the Tsunami

今回の牡鹿半島行きを振り返ってみると、初めての場所で不慣れだったせいもあり、違和感や戸惑いがいろいろあった。そして、そこから自分の「ボランティアの原点」について考えさせられた。

ぼくはそもそも、震災・津波で苦境に陥った人たちを手助けしたいと思って被災地に行く。
が、行き慣れてくると、ボラセンの段取りを批評したり、ニーズ(お手伝い内容)に優劣を付けたり──など余計なことを頭の中でやりはじめる。それらを含めて「今回のボランティアはよかったか」なんて判断をしてしまう。

人助けに行ったのなら、「助けて」という声に素直に反応したこと、行動を起こせたこと、無事役に立てたこと、そのことに十分に満足すればいい。謙虚に。

レーベン号は、継続的にお手伝い中の陸前高田に加え、牡鹿半島をしばらくお手伝いすることになった。
今週末も、またお手伝いに行きます。

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コメント / トラックバック4件 to “レーベン号の東北被災地行き20回め、「ボランティア不足」の情報を見て宮城県の牡鹿半島でお手伝いしてきた話”

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今晚は.又おつかれ樣..ナ力ノ樣本當に心のやさしい方ですね.こんなに長い間續いてお手使いに行って.私からもお礼を言たいと思います.猫ちやんに會って心もなごむでせう…ずっとお元氣でつづいて下さい.

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猫にやさしい街はいいところですよね。
そんな点でも牡鹿半島が好きになってきました。(^ ^)

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こんにちは、半年以上経ち、金曜夜発-日曜朝東京着なら
地方からも参加したいという知人が出てきました。
私自身、他プランでの参加経験がありますが、初参加者は行きたいと思いつつもなかなか、腰を一人では上げようとしません。

そこで、レーベンさんプランで一緒に行こう、と声をかけてみようと思うのですが11月以降、まだ実施されますでしょうか?
中には11月に入ると次第にツアーが無くなるところもあり。
予め、先の予定で調整できれば・・と考えています。

恐れ入りますが、予定の日程だけでもお伺いできますでしょうか?
希望は、今こそ手助けが必要な牡鹿半島ですが、まずは一歩、ボラ人口を増やす!を目的としていますので、陸前高田でも構いません。

お忙しい中 恐れ入りますが よろしくお願いします。
レーベンさんサイトのメールにも同様の内容をお送りしています。
届いているか不安になった為、こちらでも送信させていただきました。
もし、被ってしまった場合は申し訳ございません。

宜しくお願い致します。

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コメントありがとうございます。
11月も毎週行きますよ。少なくとも陸前高田には年内12月24日まで行くことが決まってます。(レーベンさんからも同じ返答があると思いますが。)

ただ一点、「東京発」はありますが到着はつくば駅前のみです。TXの始発の時間まではバス内で休めますし、5時7分の始発に乗れば6時には東京に帰ってこられます。

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