陸前高田、瓦礫一面の広田半島に驚き、炎暑の広田町で生活のかけらを片付けた話

Posted on 2011年8月8日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , |

(レーベン号の震災被災地行きは今回で13回め、ぼくは12回め。)

今回のボランティアでぼくが一番驚いた光景。
陸前高田市東部
広田半島の入口あたりの様子だ。瓦礫が地面を覆い尽くし、集積も分類もされていない地域が広がっていた。

広田半島はまだまだ片付いてない, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

陸前高田は、釜石や大船渡など他の津波被災地に比べると市中心部の被害があまりに甚大で何もかもなくなってしまったので、逆にそれが奏効して瓦礫の撤去・集積は進んでいる、という指摘を読んだことがある。市の中心部については、それはぼくが見たものと合致する。
が、前々回の小友町、前回の米崎町、そして今回見たこの光景を考え併せると、周辺部はまだまだ進んでいないんじゃないかと思う。

今回ぼくらがお手伝いをしたのは、広田半島の真ん中あたりの広田町。ボラ参加者の一人が、トイレをお借りしたお宅でこんなことを言われたそうだ。「手伝ってくれて本当にありがたい。田んぼの瓦礫撤去のような作業はお願いしづらい」。

ボラバスレーベン1号・2号、今回は「73人」という過去最大の参加者数。東京駅八重洲口に集まった人たちもこれまでとは違う密度があった。

ボランティアバスレーベン号 Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

この便では、通常の瓦礫片付けボランティアの他に10人の別チームを募り、高田高校第二グラウンドの仮設住宅に“花苗植え隊”としてお手伝いに行くことにもなっている。リーダー伊東さんはじめ、リピーターや協力者のアイディア出し、物資提供、カンパで実現に至ったものだ。

また8月20日には、レーベン隊は宮城県東松島市の「ありがとう東松島元気フェスタ」への参加が決まっている。いくつかの出し物のひとつ、ステージパフォーマンス組は、21時から八重洲のカラオケボックスに集まってコーラスの練習をしていた。

ボラバスで現地に行くと「もっとこんなお手伝いができないか」と想像力が高まる。そして「もっと何かしたい」と考える仲間が仕事や地域を超えることは、それを実現する力になる。レーベン隊の活動はますます広がってきた。

夜明けのサービスエリア。
空全体に薄く雲がかかる。天気予報通りの曇り空だが、宮城から岩手へと北上するにつれ晴れていき、最終的には屋外作業には厳しめの熱暑になった。

ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

一関のセブンイレブンで買った岩手日日。一面は「元気 復興の狼煙に 一関夏祭り開幕」。

岩手日日, ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

震災絡みと思われる、「離農」「引っ越し」「閉店」などの言葉が並ぶ広告もあった。

岩手日日, ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

バス内、朝の自己紹介タイム。「被災地は初めて」という人が8割以上で、夏休みのためか大学生も5人参加している。
男子大学生の、「ぼくはムスリムと同居していたことがありますが、彼らでさえ東北に来て支援をしているのに自分は何もしてないな、と思って参加しました」という言葉が印象に残った。

バスは気仙沼の唐桑を過ぎ、陸前高田に入る。
荒涼とした光景が目の前一杯に広がると、「初めて」組の表情がさっと変わる。目を見開いたり、眉をしかめたり。彼らの表情に、自分が初めて訪れたときに感じた衝撃を反芻してみた。

ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

陽射しが強く、均された地面はやたらにキラキラと輝いていた。よく見ると、土にガラスなどの細かい破片が沢山混ぜ込まれているのだ。

陸前高田災害ボランティアセンターに到着。
この日割り振られた仕事は、1号・2号別々。朝食、着替え、道具調達などをして慌ただしくお手伝い場所へ向かった。

陸前高田災害ボランティアセンター, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref., Deeply Damaged Area by Japan Quake

移動中に偶然行き会った、「動く七夕祭り」の華やかな山車と練り歩く人たち。

陸前高田動く七夕, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

広田半島を進むといきなり広い被災地域が現われ、驚く。陸前高田中心部の、あの酷い被災地域とそっくりな場所がもうひとつあるんじゃないか、と感じた。このあたりは、2つの湾からの津波に挟み撃ちにされ「水合(みずあい)」が起きた場所なんだろうか。

広田半島, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

途中で1号車と別れ、2号車が向かった先は「陸前高田市広田町羽根穴」という地区。

陸前高田災害ボランティアセンター, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref., Deeply Damaged Area by Japan Quake

海から500m~1kmほど離れた広い田んぼ跡。先着のバス2台のボランティアたちが作業を始めるところだった。リーダーの方と話し(株式会社リクルートエージェントのグループとのことだった)、区域を切って協働させてもらう。

陸前高田市広田町羽根穴, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

ボラセンでもらった地図に「沼化している」「あぶないので近づかないで」とあるエリアは、ほぼ干上がっていた。偵察すると、前にも人手は入ったらしく、大物を中心に瓦礫集めが途中まで済んだ場所、手つかずの場所が混在。葦は刈り取られた跡があり、そこにまた雑草が茂ってきている。
まだぬかるむ場所もあり、気仙沼でよく嗅いだ油っぽい匂いがし、油紋が浮いていた。

早速作業にかかる。

陸前高田市広田町羽根穴, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

ここで拾い集める瓦礫は「家」そのものや、生活用具ばかりだ

釘だらけの大量の木材、トタン、瓦、家の外壁。茶碗、園芸用具、ゲームCD、子どもの文房具、DVDのケース。草むらから掴み取るそれらは脈絡もなく目の前に現われ、一瞬だけそれが使われた生活を想像してしまう
そして、ときどきぶつかる洋服類。水を吸って重くなったそれを引っ張り上げるときは、嫌な感じがする。このあたりでの遺体の捜索は終わっただろうし…とも考えるが、先週ボラセンでのオリエンテーションで、ごく最近も白骨が出たという話を聞いたばかりだ。

陸前高田市広田町羽根穴, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

ブラウン管型のテレビが2つ転がっていた傍に、かなり大型の薄型テレビが横たわっていた。

陸前高田市広田町羽根穴, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

昼食休憩前、1号車チームが合流。ボラセンの手違いで、割り当てられたドブはもう掃除済みだったという。
昼食中に仮設住宅への“花苗植え隊”も笑顔で帰ってきた。

昼食後、海の方へ歩いてみる。
堤防は至るところで倒壊し、だらしない姿を晒している。すぐ近くでは、ショベルカーとトラックが岩石で間に合わせの防壁を作っていた。

陸前高田市広田町, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

この日は道に迷ったりして現地到着が遅れたため、昼食休憩を40分で切り上げて作業再開。
瓦礫を一カ所にまとめるため、リレーを組んでピッチを上げていく。

陸前高田市広田町羽根穴, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

14時10分、作業終了。
範囲は広くまだまだやり残しはあるが、熱射病の恐れもあるので(実際に結構消耗した表情も見え)、やむをえない。

この日、ハチに刺された人が2人。目の下と二の腕だが、小さな腫れ。1人はボラセン支給のキットですぐ消毒をした。また、木材の釘が長靴に貫通した人が1人。鉄板入りインソールは入っていたが、斜め下から入ったものだ。靴下を取り見せてもらったが、釘の先は肌にチクッと当たった程度だったのが幸い。

戻ったボラセンで、陸前高田でカキの養殖いかだ作りのボランティアを展開されている「千葉ふなボランティアネットワーク」代表の菅原さんに偶然お会いした(レーベン隊として何かお手伝いできないかと、近日中にお会いしたいという連絡をしたばかりだった)。さまざまな現地支援の情報を教えていただく。

この日、前回のブログでも書いたスーパーマーケット「マイヤ滝の里店」がオープンしていた。朝に通った時、遠くからアドバルーンが2つ揚がっているのが見え、少しうれしくなった。
帰りに「採れたてランド高田松原」に寄った際には、マイヤの入口でちょっとした渋滞も。

オープンしたばかりのマイヤ滝の里店, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

オープンしたばかりのマイヤ滝の里店, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

“常連”となった採れたてランドで、今回も新鮮野菜を買いこむ人多数。一升瓶のりんごジュースもとても美味しいらしく、リピーターが徐々に増えている(ぼくは未挑戦)。

採れたてランド高田松原, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

気仙沼プラザホテルで入浴、そしてお魚いちばで買い物。
前回に続きCoCoさんの訪問( 今日も一番幸せ♪ – にこにこ♪たんたん♪ )や、社長の盟友であるIさんから震災以後の混乱の話、最近(逃げた養殖物の)銀鮭が釣れまくる話を伺ったり、など。

帰りのバス内で、感想タイム。
2度めの参加になるTさんは、気仙沼にお祖父さんや親戚がいる。彼女は小さい頃、亡くなったお祖母さんに陸前高田の産物のすばらしさや海岸の美しさを聞かされていた。そして今回初めての訪問で、震災後の破壊された街(の跡)を見てショックを受けた──という話をしていた。

そういえば、ぼくは陸前高田の在りし日の姿をほとんど知らない。そういうことを調べるのも地域の人の心情に近づく術のひとつだな、と思った。今、少しずつそういう画像を探してみている。

帰路、楽しみにしていた長者原SA(上り)の猫との交流だったが、彼はエサをもらったばかりで満腹らしく「動かざること山の如し」だった。さらに、すぐ傍にはおせっかいおばさんたち(笑)がいて、猫とコミュニケートしようとするぼくの一挙一動にコメントをするので、長居できなかった。

長者原SA(上り)の猫, 陸前高田でボランティア Volunteer at Rikuzentakata, Iwate pref, Deeply Damaged Area by Japan Quake

(aki tsaiさん、写真撮ってきましたよ。)

日曜深夜3時過ぎ、レーベン1号・2号はTXつくば駅前に着いた。(暑さで消耗したせいか、ぼくは今回はいつになく深く眠っていた。)

レーベン一号・二号、つくば着。

1台で運行していたときは25人×9回、1号・2号体制になってから65人×4回と計算してみると、レーベン号はすでに「485人」、もう500人に迫る数の人たちに震災復旧に“目を開く”チャンスを与えている

これから先も、可能な限り手を貸しまくろうぜ、レーベン号とその仲間たち
次は再来週に行きます。(VCがお盆休みのため。)

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ナカノさん有難とうございます,被害地の事良く分ります,まだまだ復與するのに長い道程ですね,日本の軍隊は復與のお手使いしていますか?台灣だったらボランティアよりも軍隊がしています,ネコの寫真ありがと顏は少し黑いが可愛いい,動物が大好きなので昨日台北の,流浪狗猫花園に永久會員として參加しました,何も出來ない私は可悲さうな動物達に本の心盡しです,..

aki tsaiさん、読んでいただいてありがとうございます。

日本の軍隊(自衛隊)は、震災直後から大部隊が現地に入り献身的な活動をしていますよ。ぼくも現地でよく見ました。被災地の方々も沢山感謝の声を挙げています。ただ、本来の業務もあるので、7月・8月などで多くが引き揚げました。また、日本各地から警察官が沢山助けに行っています。

猫ちゃんの里親として支援されるのですか?
ウチの猫も、捨て猫や、元の飼い主が飼えなくなったので譲ってもらった猫がいますよ。

そちらからのバトンを引き受け、昨日、一昨日と2日間、写真の場所、羽根穴地区の田で作業をしてきました。

一昨日は表面の瓦礫はほとんど除去されている区画で、深く根を張った草を抜く作業でした。草を抜くと、驚くほど深くから、まだたくさんの瓦や生活用品が出てくる状態でした。表面上はずいぶん「田」に近づきましたが、ここが実際に「田」となったときに、田を耕しながら「何も」出てこないようにならないと、「田」として使うことは精神的に厳しいと思います。まだまだ地道な作業が必要だと思いました。

一昨日には、たぶん地図に「電柱などがあり危険」と書かれているその周辺の撤去作業をしました。2本の電柱には鉄骨、ワイヤー、電線、漁の網、自転車、などたくさんの物が複雑に絡まって一体化しており、撤去は到底無理と思われましたが、大人数で知恵を出し合い、少しずつ本当に少しずつ、絡んでいるそれらを撤去し、最後には素の電柱2本となりました。

ひとまずこれで、次に作業される方にバトンを渡します。

sunny&rainyさん、広田町の最新状況のお知らせありがとうございます。また、炎天下での2日間のお手伝い、本当にお疲れさまでした。

Great! Very proud of you! I live in Chiba, and volunteered where I could!


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