開通したばかりの気仙大橋を渡り、陸前高田でお手伝いしてきた話 (震災ボランティアバス9回め)

Posted on 2011年7月20日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , |

週末ボランティアバスのレーベン号、今回は“2号”がデビュー、初の二台体制になった。

「手を貸すぜ 東北」, 震災ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

2号の前面・側面そして後部には「手を貸すぜ 東北」という力強いメッセージが。
深夜の東京駅八重洲口でも、現地でも、つまりどこでも目を見張る人が多く、SA停車中には親子連れがバスの前で記念撮影をしていったぐらいの目立ち度だった(笑)。

ぼくは今回、ボラチーム2号車のリーダー(といってもまとめ役ぐらいの役割)として乗り込んだ。

ボランティアバスの中で見る、何度めかの朝日。

夜明け, 震災ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

バスではいつも短い睡眠だけど、この時間は1日の作業を想像して体内をアドレナリンがめぐる。好きな時間だ。

朝、高速を下り、コンビニ立ち寄り後にバス内で自己紹介タイム。
被災地に直接・間接の関わりがあって参加した人自分でつながりを見つけ出した人一度現地を見て考えたいという人今からでも何かできるんじゃないかと申し込んだ人。いろんな声があった。

陸前高田に入る。
7月10日に開通したばかりの気仙大橋(仮橋)を、この日レーベン号は初めて渡った。(東日本大震災の津波で気仙大橋が流されてしまってから、陸前高田市と気仙沼市を行き来するのには最大70kmも迂回する必要があったという。)

橋の手前には出光マークのガソリンスタンドがある。このスタンドは、津波で半ば壊れた建物のまま、「がんばろう日本」というのぼりをいくつも立てて営業中だ。

気仙大橋を渡る, 震災ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

気仙大橋を渡る, 震災ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

仮設橋は、崩壊した橋のすぐ横に建設されている。
橋を渡るとき、Androidで撮った写真と共にTweet(「陸前高田、開通したばかりの気仙大橋!」)したところ、欧州に住む人から「まだクルマがそのままなのと、反面、復興の様子を見せてくださるので、とてもインパクトがある」というコメントをもらう。なるほど、「破壊」と「再生」が混じり合った、今の被災地の象徴的な姿かもしれない。

陸前高田市街が元あった地域”を過ぎ、バスは内陸へ向かう。

波で被災した陸前高田, 震災ボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

陸前高田の災害ボランティアセンターは小規模だが、すでに到着したボランティアたちやスタッフで活気づいていた。

陸前高田ボランティアセンター, 震災ボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

関西弁の明るい看護士さんが歩き回り、方々でボランティアに声をかけ熱中症の注意などをしている。消毒キットを3個いただく。

陸前高田VCでもらった消毒キット, 震災ボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

午前の作業場所は、建材(ブロック、タイル、レンガ、敷石など)の野積み倉庫のようなところ。作業は、壊れたパレットや散乱したビニールなどの回収。わりと軽作業だが、暑い。

陸前高田でボランティア, 震災ボラバス Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

午後は平地に降りる。ここでは、津波による土砂で埋没してしまったブロックやタイル類を掘り起こし、仕分けし、パレットに積んでいくという実にストレートな力仕事になった。(あとで聞いたのだが、ここは元ホームセンターだったとか。)
ガテン系企業らしきボランティアの人たちがすでに作業に入っていた。彼らは笑いながら重いレンガやタイルを投げたり運んだりしていたけど、力仕事のプロでもないレーベン隊は、あくまで緊密なリレー方式で進めていく。

陸前高田でボランティア, 震災ボラバス Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

空は晴れ渡り、気温はさらに上がってきた。
重いブロックをそこそこネコ車に積んで(満載すると重くて押せないから!)行き来すると、水のように汗が出る。休憩のとき水と共に摂る塩飴がおいしい。というより体が「必要!」と言っている

朝のボラセンでは「作業は14時まで」と言われていたが、ぼくらはスタートが遅かったので「せめて14時半まで」とラストスパートをかけはじめたところでストップがかかった。うーん、やりきりたかった…。

ボラセンに戻り、作業時のワッペンを返しに行くと、なぜか秋田名物「ババヘラアイス」がボランティアたちに次々と振る舞われていた。すぐにバスに引き返してメンバー全員に声をかけ、ババヘラ配給の列に並んでもらった。おいしかったー。

陸前高田ボランティアセンター Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

秋田名物ババヘラアイス, 陸前高田ボランティアセンター Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

マッチング用のプレハブ棟で「つないで陸高!なじょにがすっぺ」ステッカーをゲット(1枚300円。VC運営費になるとのこと)。

「つないで陸高!なじょにがすっぺ」, 陸前高田ボランティアセンター Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

高田松原の“奇跡の一本松”をあしらったデザイン。「なじょにがすっぺ(なんとかしようぜ)」というメッセージも力強い。今日のプチ勲章だ。

作業後のお風呂は、気仙沼プラザホテルでいただく。

ホテルからの気仙沼港の眺め。火災で焦げた船は相変わらず一隻だけ残っていたが、港の周りはだいぶ片付いていた。

気仙沼プラザホテル, 陸前高田で震災ボランティア(帰路) Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

記念撮影タイム。すっきり(お手伝いできた充実感で)・さっぱり(風呂上がりのため)の笑顔が並ぶ

気仙沼プラザホテルで記念撮影, 陸前高田へのボランティアバス(帰路) Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

気仙沼の海沿いの市街は、津波の爪跡がまだいたるところにある。4ヵ月経つが、残された商店や商業ビルは修理か取り壊しなのか決まっていないのだろうか。

地震被害の気仙沼, 陸前高田へのボランティアバス(帰路) Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

今回、バスの窓外を眺めていると、復旧・復興の小さな変化がいくつか目に留まった。

気仙沼の唐桑では、仮設らしき雑貨屋に開店祝いの花輪がかかっていた。
陸前高田の道沿いでは、ほっかほっか亭の移動式トラック店舗に客が集っていた。
すぐ近くでは、スーパーマーケット「マイヤ」のプレハブ店舗が、8月オープンに向け建設されていた。

帰りの気仙沼でも、自転車で連れ立って下校する中学生犬の散歩をする女性ランニング中の人など。なかでも走っていた男性の穏やかな表情には日常のしるしを感じた。

岩手や宮城の被災地には、「打ちのめされたままの姿」「応急処置状態」「復旧した姿」「日常」などが混在している。生活インフラに何ら不自由がない関東から訪れるぼくらにとって、見て感じる意味があるものだ

とりわけここ2~3回のボラバスは、被災地の現状と共に「三陸地方の夏のすばらしさ」も味わってしまう旅になっている。

気仙沼の唐桑から見た、岩手の広田崎方面(だと思う)のもやがかかった景色。

唐桑, 震災ボランティアバス 陸前高田行き Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

陸前高田の、高い空と美しい田園風景。

陸前高田でボランティア, 震災ボラバス Japan Quake Volunteer Bus to Rikuzentakata, Iwate pref.

最後に。
この日、レーベン号(1号)には日本テレビ「真相報道 バンキシャ!」の取材スタッフが乗っていた。

取材の打診があったとき、リピーターの間には「大丈夫?」「曲解されない?」といった声もあったが、最終的には「ボランティアバスという支援方法が一人でも多くの人に知られれば」という考えで受けることになったもの。

実際の放送を、細切れの映像で少しわかりにくいなぁとか、テレビ映像だとやはり暑さも埃も臭いも伝わらないなぁとか、いろいろ感じながら観た。

が、働き盛りのビジネスパーソンである伊東さんがボランティアのリーダーとして活躍し、現地の人でなく一人のボランティアとして「お手伝いはまだまだ必要」というメッセージを語ったことは意義が大きかった

番組のコメンテーターは「学生は」「若い人たちに」と、ボランティア=若者というステレオタイプで語っていたが、認識が浅い。今、30代から60代まで幅広い層が震災ボランティアとして現地に入り汗を流している。多くは肉体労働が得意な人たちでもないし、金や暇が人よりあるわけでもない。あらゆる世代に属する人たちが、「少しでも手を貸せたら」という気持ちで参加しているんだ。そういう意味で、伊東さんがロールモデル(お手本)として果たした役割は大きい。

社会人よ、被災地へ!(または、被災地にもっと目を向けよう!)と言いたい。

また行きます。

コメント / トラックバック7件 to “開通したばかりの気仙大橋を渡り、陸前高田でお手伝いしてきた話 (震災ボランティアバス9回め)”

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こんにちは,待ちに待ったナカノ樣の被災地へのブログを讀みました,詳しくて寫真もはっきりして有難うございます,ボランテイアの皆樣頑張って下さい,,,

>akitsaiさん

いつも読んでいただきありがとうございます。
また今週末も行ってきますので、ご報告しますね。

nakanoさま
BOLG読ませていただきました。すばらしいと思います。意を決して8月5日に参加することになりました。宮城は何度かお邪魔しておりますが、岩手は初めてです。もし、同日ご参加されるのであればよろしくお願いいたします。

>Obaraさん

ありがとうございます!もちろん8月5日も参加予定ですよ。
ぜひ一緒に活動しましょう。

はじめまして。
伊東さんの友人のやみぃと申します。
ささやかですが、サイトとmixiの日記で、レーベン号のことを紹介させていただきました。
http://p.tl/hGYg

中で、中野さんの文章を引用(リンクも)させていただきました。
事後承諾でゴメンなさい。
これからもどうかよろしくお願いします。

Twitter はこちら、かな?――上のコメントのやみぃです。

>やみぃさん

ご紹介先の文章を拝見して、自分がよく知っていることなのに不覚にもちょっと泣けました。(^-^;;
すばらしいかたちでレーベン号をご紹介いただき、ありがとうございます!


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