酷暑の大船渡で、畑の草取り&ブルーベリーお届け隊をしてきた話 (震災復旧ボランティア8回め)

Posted on 2011年7月11日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , |

5月に初めてボラバスに乗って気仙沼へ行き(「気仙沼で1日ボランティアをし、陸前高田を見てきた話」)、瓦礫整理のお手伝い中に「あと10回、いや最低でも5回は来よう」と決意してから毎週さまざまな被災地ボラを経験し、今回でついに8回め。区切りの10回がいよいよ近づいてきた(別にやめるわけじゃありませんが)。

ボラバスレーベン号、今回は初めての目的地である岩手県大船渡市へ。
金曜22時にTXつくば駅発、24時東京駅八重洲口経由、朝に大船渡に着いてお手伝いをし、温泉に入って帰路へ。到着は日曜早朝の3~4時という0泊3日コース

大船渡へのボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Miyagi pref.

今回も、レーベン号は避難所などにお届けする物資をいくつか搭載。

2週間以上も前から、リーダーのIさんが大船渡でコーディネートをされているUさんと連絡を取り、Facebookのレーベン号グループであれこれ話し合いながら調達したもの。
なかでも「摘みたてブルーベリー+ヨーグルト」は今回の目玉で、Oさんが発案し、知り合いのブルーベリー畑所有の方の協力で実現。前日につくばで“ブルーベリー娘”(自称)たちが摘んだ新鮮なブルーベリーを小分けして発泡スチロール箱に氷と共に詰め、一緒に召し上がっていただこうとヨーグルトを立花社長が手配され、代金は有志でシェア。…と、今回のバスに乗る・乗らないに関わらず、多くのレーベン号リピーターの力で実現したものだ。

朝6時半ごろ、バスは一関ICを降りる。出口には「平泉 世界遺産 登録決定」の看板が。
すでに空は晴れ渡り、気温も高い。

大船渡へのボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Miyagi pref.


陸前高田市に差しかかる。
5月に初めて見たときに比べ、かなり片付いたという印象。先週行った南三陸町の壊滅エリアで瓦礫が高い山を作っていたのとは対照的だ。

陸前高田(大船渡へのボランティア途上) Rikuzentakata, Dameged by Huge Tsunami

瓦礫が持ち去られ、地面が均された場所には沢山の草が茂っている。が、ここは津波にやられる前まではきっと建物が密集していたはずの場所だ。

陸前高田(大船渡へのボランティア途上) Rikuzentakata, Dameged by Huge Tsunami

東北の太平洋岸を津波が襲うニュース映像を見て、「津波が街を消去した」という表現でブログに綴った人がいた。そのときは感心したものだが、実際に激甚な被害を受けた地域をいくつか見ると、「消去」というあっさりした表現は妥当とは思えない。
津波は、元あった営みを巨大な力で坩堝に叩き込み、撹拌した結果を大量に「残す」。そこでまたやり直すためには、人間の力で「消去」しなければならないのなのだ。

山間部を越え、大船渡市に入る。車道沿いに徐々に被害の様子が見えてくる。
最初目に入ったのは、港湾部の10~30mぐらいの地域がやられ、今はある程度片付いている様子だ。

大船渡の中心部へ, 震災ボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Miyagi pref.

が、やはり先へ進むと破壊の様子が生々しく残る地域が現われた。

大船渡の中心部へ, 震災ボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Miyagi pref.

あとで調べてみたが、大船渡湾は南北方向に長い長方形のような形をしているそこへ津波は南側から入り、北側の短辺を超えて奥深く侵入し、街を破壊したのだ

ちなみに、同じ情報源で陸前高田市を見ると、同市の被害がいかに広域に渡っているかわかる。

大船渡の災害ボランティアセンターは、警察署隣の総合福祉センターにある。
バスが着いたときには駐車場に車がびっしり。ボラバスより個人車が多かった。

ボランティアセンター, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Miyagi pref.

本日の作業は、ボラセン近くの盛町という地区。津波で冠水し、以後放置されている畑の草取り。水産会社でのパレット洗いとの二本立ての予定だったが、後者は準備が整わずキャンセルされたとのことだった。

レーベン隊、今回も「初ボランティア」のメンバーが多い。
参加者には「おだづなよ!気仙沼」Tシャツを着たボラガールも。

おだづなよ気仙沼Tシャツ, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

この日、最高気温は32度の予測。
酷暑の中4チームに分かれ、隅から草をむしっていく。根の深そうな奴はスコップやバチツルで掘り起こしながら。

畑で草むしり, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

畑の隣のお宅には、今もくっきりと津波の跡が残っている。高さは1.5mぐらい。

津波の跡, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

11時半にはお弁当が届けられ、昼食休憩。

ここで別働隊の3人(リーダーI氏、ぼく、O氏)が乗ったバスは、この日2つめのミッション「避難所への支援物資お届け」に出発する。三陸鉄道の盛駅で、大船渡で活動しているUさんと待ち合わせ。

三陸鉄道 盛駅, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

作業場所からバスで10分ほどの赤崎町へ。途中、太平洋セメントの工場など特に被害が酷い地帯を通る。

赤崎町の避難所へ, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

避難所となっている「赤崎町漁村センター」は高台にあり、隣接して保育園とJAがある。

赤崎町漁村センター, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

冷えたブルーベリー&ヨーグルトハエ取りグッズなどを一通りお渡しし、センターを管理する方々から沢山のお礼を言われる。(残念ながら避難されている方々に直接ブルーベリーを渡すことはできませんでした。ブルーベリー娘の皆さん、すみません!)

その後、お世話している方からお話を伺った。


避難所から仮設住宅に移る人たちも増えて、今ここに避難している人はようやく19人だけになった
その方々も再来週には仮設住宅へ移る見込み。
震災直後は、隣の保育所と合わせて300人以上が避難していたが。

仮設住宅には早くから移る人もいたが、生活用具もない状態だったので苦情が出た。
今では改善されてきて、調理器具冷蔵庫クーラー生活着(スエット類)まで、行政や赤十字から支給されるようになっている。NPOなどから少しだがお金も支給される。

仮設に移った人たちは、それぞれの状況にもよるが2年後には復興住宅に移ることになる
それがどんなものになるかは、これから決まるようだ。

(瓦礫撤去などのボランティアの受け入れ状況についての話)
自治体によって復興計画の内容が違い、まだ計画自体が決まっていないところもあり、ボランティアを受け入れづらくなってきているところもあると聞いている。
たとえば地盤沈下の対策で、瓦礫ごと埋めて嵩上げしてしまうような地域もあるらしい。

センターには、気仙沼では見かけなかったハエ捕り器があった。ペットボトルに被せて使うもので”Tap Trap“という製品。あるNPOが送ってくれたものだとか。(ただし、大船渡のハエは気仙沼みたいに小指ほどに太ってはいなかった。)

赤崎町漁村センター, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

赤崎町漁村センター, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

避難者のためにオールハンズ(“All Hands Volunteers“)という米国のNGOが作ってくれたというお風呂も見せてくれた。この団体は週2回ここを訪れ、薪割りをし、4時間かけて風呂を沸かしてくれたという。外国の団体の、精力的な活動ぶりに頭が下がる。

赤崎町漁村センター, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

避難所訪問を終え、また本体に合流、熱暑の中バチツルを振るった。

大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

気温があまりに高いため、作業は14時30分過ぎに終了。
終わった面積は3割ほどか。「またすぐに草が茂っちゃうんじゃないの…」と誰かが漏らした。

畑の持ち主も一緒に草取りをされていたが、小柄なお年寄りで、失礼ながら何日かかるかわからないようなペースに見えた。(又聞きであり、プライバシーに関わるので簡潔に書くけど、)この方はある出来事のせいで元気をなくし、畑にあまり手を入れてなかった。そこへ震災・津波が来て、瓦礫と海水を被り今の状態になったとか。

精一杯やりはしたけど、お役に立ったんだろうか、というのが今回の正直な感想だ。

この畑を継ぐ人はいないんだろうか、という点も気になった。
振り返ると、これまで伺った漁港、農家、個人宅、どこもシニアの方が本当に多い。急速に高齢化が進む地方で、さまざまな産業が曲がり角に差しかかっていたところに、震災と津波が追い打ちをかけた──そんな風に思える。
東京都心部に暮らしていれば、まったくリアリティが湧かないことだ。

作業後、お風呂に入らせてもらった「オーシャンビューホテル丸森」の一室が、「復興美容室『絆』」という美容室になっていた。津波で店を流された美容師たちが、全国からお金や物資の支援を受けて開いたお店だそうだ。
髪をカットしてもらった小学生ぐらいの女の子が、はにかみながらお母さんと一緒に美容室を出てくる姿を見た。

オーシャンビューホテル丸森, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

帰路、再び陸前高田。海沿いの広い範囲が、地盤沈下のせいで冠水したままで、湖や沼のようになっている。そこに、くしゃくしゃの車が残されていたりもする。

陸前高田(大船渡からの帰路) Rikuzentakata, Dameged by Huge Tsunami

確かに瓦礫撤去と更地化は進んでいる。
しかしこの先、どういう風に戻すのだろう…と気が遠くなる思いがした。

この日、三陸地方は美しいなぁと感じる場面が度々あった。

陸前高田を越え、大船渡に向かうバスから見た海。

大船渡へのボランティアバス Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

帰りに寄ったコンビニの背後に屹立していた雲。

大船渡で震災復旧ボランティア(帰路) Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

一関ICまでの道で、徐々に真っ赤に染まっていった空。

夕焼け, 大船渡で震災復旧ボランティア(帰路) Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

でも、一番心を動かされたのは人が書いたメッセージだ。
避難所に飾られていた七夕の短冊に、「ボランティアで来た人達が幸せになれますように」とあった。

赤崎町漁村センター, 大船渡で震災復旧ボランティア Japan Quake Volunteer Bus to Ofunato, Iwate pref.

また、お手伝いに行きます!

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ナカノ樣今曰は,暑いのにお疲れ樣でした,..


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