宮城の南三陸町に初めて行き、沢山の屋根瓦を拾い集めた話 (震災ボランティア7回め)

Posted on 2011年7月4日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , , , |

週末の土曜日(7月2日)はボランティアバスで被災地行き。今回で7回めになる。
23時30分ごろ東京駅八重洲口へ行くと、もうレーベン号は到着していた。

南三陸町へのボランティアバス Volunteer Bus to Minamisanrikucho, Miyagi pref.

今回からは、こんな新兵器も搭載。

新型土のうスタンド, 南三陸町へのボランティアバス Volunteer Bus to Minamisanrikucho, Miyagi pref.

バスは、初めての目的地である宮城県本吉郡南三陸町へ向かう。

宮城県/震災被害情報(7月3日18時発表データ)によると、南三陸町の震災での死者は542人、行方不明者は664人
住宅損壊が全壊3,167、半壊144(注:他の自治体に比べると半壊が極端に少ない印象)、一部損壊や床上浸水などはいずれも調査中となっている。

  • 南三陸町
    人口:17,666人
    死者・行方不明者:1,206人 (6.8%)
  • 石巻市
    人口:162,822人
    死者・行方不明者:5,897人 (3.6%)
  • 気仙沼市
    人口:74,247人
    死者・行方不明者:1,429人 (1.9%)

と、石巻市や気仙沼市と比べて、南三陸町の犠牲者数は特に多いことがわかった。

今回初めてバスの一番前の席に座ったので、高速道路の標識がよく目に入った。
よく目につくのが「広野~常磐富岡間 災害通行止」という表示だ。

災害」って福島第一原発のことなんだろうなぁ。こんなことも3.11後の“日常”のひとつか、などと考えた。
帰宅後に検索してみたら、やはりこんなニュースが。

東電、東日本高速に常磐道の早期開通を要請 | レスポンス
http://response.jp/article/2011/05/01/155783.html

常磐道の復旧作業の予定が立たないのは、工事そのものが困難なわけではなく、福島原発から放出された放射性物質の飛散により、工事作業者の安全が確保できないからだ。

バスは登米市を経て南三陸町へ。景色がはっきりと変わり、壊滅エリアに着いたとわかった。

南三陸町へのボランティアバス Volunteer Bus to Minamisanrikucho, Miyagi pref.

海沿いの広い地域がほぼ例外なく真っ平らになっている。5月中旬のボラバスで見た陸前高田とそっくりだ。

南三陸町へのボランティアバス Volunteer Bus to Minamisanrikucho, Miyagi pref.

ここ数週間通った気仙沼と比べて、瓦礫の撤去が進んでいないな、と思った。
すごく高い瓦礫の山、それも、気仙沼ではあまり見なくなった鉄骨など金属類の山が至るところにある(そのため、遠目にはキラキラと明るく輝いて見える)。積み上げ方も乱雑だ。

紙屑のように変形した車が方々にある。
鉄道路線があった場所は、道路にかかるコンクリートのアーチ部分だけが残り、あとはきれいに消えている。
最期まで防災放送で避難を呼びかけ、亡くなった遠藤未希さんのニュースが話題になった「防災対策庁舎」よりもさらに内陸の方に、屋上に車が乗ったままのビルがある。

南三陸町へのボランティアバス Volunteer Bus to Minamisanrikucho, Miyagi pref.

この力の前では、相当堅牢な建物でも持ちこたえることができなかったのでは…と思った。

南三陸町の災害ボランティアセンターは、総合体育館「ベイサイドアリーナ」の駐車場の一角にある巨大テントだ(テントの「WFP」というマークの通り、国連世界食糧計画から援助されたもの)。

南三陸町災害ボランティアセンター Minamisanrikucho Volunteer Center, Miyagi pref.

レーベン号よりやや遅れて、徳島(!)、宝塚(!)、大宮、茅ヶ崎など各地から次々と、そして企業のボランティアバスもやってきた。

南三陸町災害ボランティアセンター Minamisanrikucho Volunteer Center, Miyagi pref.

南三陸VCでは、お揃いのビブス(スタッフ用ベスト)を着ることになっているらしい。ちょっと士気が上がる。

南三陸町災害ボランティアセンター Minamisanrikucho Volunteer Center, Miyagi pref.

準備を終え、寄木(よりき)という集落に向かう。
この地区は、震災から3ヵ月以上経つのに作業ボランティアが入るのは初めてだそうだ。

国道でバスを降り、道具を持って10分ほど海の方へ下る。

細い道に入ってすぐ、ずいぶん簡素な電柱が立っているのに気づく。傍には、元々そこに立っていたらしい電柱が折れて倒れている。
付近の山肌は、かなり高い位置まで津波で削られた跡がある。10m以上の高さの木の枝に毛布、衣服、子ども用おもちゃなどが絡みついているのが不気味だ。

今日の作業は、田んぼ4~6枚ほどのエリアに散乱した瓦礫を取り出し、分別・集積すること。
2チームに分かれ、両端から狭めるように作業を進めていく。

南三陸町(寄木地区)でボランティア Japan Quake Volunteer at Yoriki, Miyagi pref.

津波の引き波で木材などの軽いものはほとんど持って行かれたとのことで、家の瓦、外壁、タイル、ブロックなど重めのものが多い。養殖に使われていたという網と重りの石も大量に散乱している。また泥を掘り起こすと、埋まっていた衣類、食器、生活用具なども出てきた。

大量の屋根瓦などの運搬には、今回もネコ車が大活躍。VC用意の二台、さらにレーベン号の二台がフルで働いた。他には、絡み合った漁網を切るためにナイフやナタが、重い瓦礫を引き起こすテコとしてバールが役立ったという(Oさん談)。

休憩中、労いの言葉をかけに寄ってくれた区長さんが、地域のこと、津波のことなどをお話ししてくれた。


このあたり(三陸沖)は暖流と寒流がぶつかり、漁場としてとても優れているところ。
金華サバ」は有名だし、戻り鰹は脂がのっておいしい。
志津川のタコ」もブランド。(村長さんいわく、明石のタコよりおいしいという話)
その他、ワカメ、ホタテ、アワビ、ホヤ、カキ、ウニ…。(次々と出てくる魚介類の名前、覚えきれなかった)

三陸地方は明治、昭和と津波を経験しているが、津波の後に家を山の上に建て直し、今度は山火事で失って海沿いに戻ってきたりしている。そして今回はまた、津波でやられてしまった。

46軒中35軒が津波で全壊・半壊した。残っても一階部分をやられてしまった家もある。

水道の復旧状況について伺うと、「地震から3ヵ月、10日ほど前にやっと来た」と。
ちょうどぼくらが休憩していた路上に飛び出していたのが水道管らしい(全部地中埋設ではなく、まずは通してしまえということか)。

南三陸町(寄木地区)でボランティア Japan Quake Volunteer at Yoriki, Miyagi pref.

この日は曇りだが、暑かった。チームは休憩を多めに取り、水分や塩飴の補給を心がけた。
復旧の道は遠いけど、これからの屋外ボランティアは酷暑との戦いになるなぁ。

15時に作業終了、割り当てられたエリアはそれなりに綺麗になり、道端には大量の瓦礫が積み上がった。

南三陸町(寄木地区)でボランティア Japan Quake Volunteer at Yoriki, Miyagi pref.

なお今回は、“別働隊”2人が、水やタオルケットなどの物資を気仙沼市本吉町のケアハウス「ソレイユの丘」に届けていた。前回の気仙沼市南郷へのハエ捕りグッズお届けに続いて2回めだ。
この「現地ボラに行ったついでに足りない物資をお届け」は“ボラバス+α”のトライアルだけど、現地の状況をより深く理解でき、もっと・ずっと支援しようというモチベーションが湧くという点でいいやり方だと思う。(レーベン号リピーターズのFacebookグループでは、現地の状況について活発なやりとりが交わされ、ぼく自身もより強く興味を持つようになった。)

帰りのバス内で@uqaが、民宿を営む区長さんのお宅で(トイレをお借りした際に)聞いた話をしてくれた。

区長さんは、復旧の手伝いに来た人の台帳を用意し、名前を書いてもらっているらしい。
今0歳のお孫さんがいて、その子が大きくなったら「この台帳に載っている人の地域で天災があったら助けに行きなさい。困ったときに助けてくれた人だから」と伝えるつもりだという。

東京に暮らしていると、街の数十年スパンでの行く末や、何世代も語り継がれてきた災害体験や、ある土地とある土地のつながりや、まして“恩返し”といった話を聞くことなどは、まずない。そういう滅多に聞かないような話を、被災地ボラに行くようになってから毎回ひとつは聞くことができている
東京にはカッコよくて大きな話が多いけど、宮城では、長く続く、地味だけど大切な話が多いと思う。

帰路、こんなTweetをした。

ついでに書き添えるなら、今やっていることは「この先の日本」だという感触がある。
「どうつながりをつくり、何をサポートできるか考える。そしてやってみる」は、震災復旧だけで見ればいずれ終わるものであっても、超高齢化と人口減少、経済降下が必定の日本では、デフォルトになっていくものだと思う。

また行きます!

コメント / トラックバック5件 to “宮城の南三陸町に初めて行き、沢山の屋根瓦を拾い集めた話 (震災ボランティア7回め)”

RSS Feed for du pope : NAKANO Hajime's Blog Comments RSS Feed

こんにちは,寫真で復輿するのはまだ遠いように見えますね,でもここで皆樣の頑張っているのを見守っております,お寫真ありがたうご座いました,ナカノ樣に一つのお願い..おひまの時でいいから私のブログ中に(古昔故事)これは終戰當事の一部だけですが見て下さいませんか,下手ですが十年前に始めて書いたのです,今でもあの時の事忘れません,

>akitsaiさん

この記事ですね。

古早故事 | Aki 的分享空間
http://akitsai.wordpress.com/2010/12/14/41/

拝見しました。終戦の際の大変な混乱の中、拘留され、やっと台湾に辿り着かれたんですね。ぼくなどには想像がつかないような出来事です。

ナカノ樣有難うございました,古昔故事を見て下さったのね嬉しいです,78才の私は今でも日本に見捨られた樣な氣がしなりません,ごめんねでも日本が大好きです,

はじめまして。FACEBOOKファンページの被災地ボランティアコミュニティ「ボラメン」「ボラガール」の管理人の角井(つのい)と申します。事後承諾でまことに申し訳ありませんが、中野様のボラバス体験記、たいへん貴重で詳細なレポートとなっておりますので、当ページにシェアして、ご紹介させて頂きました。よろしくご了承お願いいたします。

>角井さん

ご紹介ありがとうございます。;^)


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