大震災から3ヵ月めの日、気仙沼の個人宅でお手伝いをしてきた話 (震災復興ボランティア5回め)

Posted on 2011年6月12日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , , |

昨日の気仙沼、沿岸部。

気仙沼の様子 Kesennuma, Deeply Damaged Area by the Tsunami of Japan Quake

まだまだこんな光景が沢山ある。
東日本大震災から3ヵ月めの昨日、あるニュースは「東日本大震災では、今なお8万8000人が避難生活を強いられ、がれきの撤去も2割ほどしか進んでいません」と伝えていた。

さて、、今週末もレーベンさんのバスで気仙沼ボランティアへ。

さて今週もレーベンバスで気仙沼ボランティアへ!あ、明日行われる震災関連イベントいろいろ、特に脱原発アクションは気になるけど、そっち方面の人もがんばってくださいねー。

リピーターも増えてきて、週末が近づくとTwitterでは「今週行きますか?」「行けないので代わりに頼みます」なんてやりとりが。また今回は行けない人が差し入れ(!)を持ってこられたりとか、ゆるいファミリーみたいな雰囲気を感じる。

宮城へ向けバスが北上していくと、毎回はっきりと「あぁ、こっちに来たんだ」と感じさせるサインがある。

「がんばります福島」, 気仙沼ボランティアバス(帰路) Japan Quake Volunteer Bus to Kesennuma, Miyagi pref.

東京でも一時期まで「がんばろう日本」といった垂れ幕・貼り紙などをよく見かけたが、最近はかなり減った。
当たり前だが、震災被害がひどい県では「ご支援ありがとうございます」「がんばろう岩手」「負けないぞ気仙沼」などの掛け声が街中いたるところにある。「がんばろう日本」とは違い、声を挙げる人も励ます相手もはっきりとし、ちゃんと日常に組み込まれた、その場にいれば力の源になるメッセージだ。

気仙沼に入ったバスは、7時半ごろに「気仙沼市災害ボランティアセンター」に着く。

気仙沼市災害ボランティアセンター Kessennuma Volunteer Center (Miyagi pref.)

気仙沼ボラ5回めにして、実はぼくはボランティアセンターに初めて来た。
テントやプレハブ事務所が並ぶ“本部”に心躍り、また沢山のネコ(一輪車)を見たときは、ちょっとした嫉妬(笑)と感動を覚えた(ゲリラや民兵が正規軍兵士の装備を見たら、きっとこんな感じを抱くんだろうと思う)。

沢山のネコ(一輪車), 気仙沼市災害ボランティアセンター Kessennuma Volunteer Center (Miyagi pref.)

ボラセンでいつものOさんから指示をもらい、バスは作業地域へ向かう。曇りで、小雨混じりの空。被災地はうち沈んでいるように見える。

気仙沼の様子 Kessennuma, Damaged by the Huge Tsunami of Japan Quake

階上(はしかみ)地区へ。先々週作業をした波路上(はじかみ)のすぐそばの、一軒のお宅での泥出しが割り当てられた作業だ(個人宅なのでお名前など詳しいことは書かずにおく)。

気仙沼でボランティア Vounteer at Kessennuma, Damaged by the Huge Tsunami of Japan Quake

作業を始める前に、ご主人が震災と津波によるこの地区の被害についてお話ししてくれた。


ほんの1mほど高台になっているこの家の、目と鼻の先の家では2人が亡くなった。あそこでも2人…(どちらも家の土台だけ残っていた)。

この地域は半農半漁を営む自然に恵まれたところで、すぐ先の入り江から船を出していた(今では沼のようだ)。

その先に見える気仙沼向洋高校では、先生の機転で生徒たちは走って避難し死者はなかった。
が、その近くには避難場所指定の建物があり、その建物を越える高さで襲った津波で、90人が亡くなった(聞き間違いではなく本当に90人とのこと)。

私の妻は地震発生後、勤め先から自宅に車で戻ろうとしたところ、津波に呑まれ行方不明に。しかし4日後に、無事が確認され会うことができた

五間分の泥出しは午前中で終わった。
(実は土のう袋の備えがなく、“リーダー”役だったぼくはバスと現場を往復、ボラセンからの補充を待ったりしているうち、つまりほとんど作業できずに終わった…。中間管理職(違)は辛いよ。(-_-;;)

昼食後、バスは次のお手伝い先へ移動。先週お手伝いをした南郷の近くへ。
向かう途中、川の対岸にあたる部分だろうか、まともな建物がほとんどないほど破壊された地域を過ぎる。

気仙沼の様子 Japan Quake Volunteer Bus to Kesennuma, Miyagi pref.

22人のチームは二班に分かれ、ぼくは先週作業した場所から1~2ブロックほどの個人宅で、空拭き・水拭きなどの掃除のお手伝い。この家、床部分の畳は全部なく、基礎の骨組みだけになっている。

土台から床までの高さは0.5m、部屋内の壁2mぐらいの高さに汚水の線が付いているから、2.5mぐらいの高さの津波が来たということか…などと考えながら作業。こういう作業では女性、というより普段ちゃんと掃除をしている人は動きがテキパキしている(笑)。
体にとっては軽作業。が、じわじわ感じるのは、家具、お土産物、記念写真など“生活のしるし”が残る空間での作業は、徐々に重たい気持ちになってくるということだ。

休憩時間にお話を伺うことができた。


私(ご主人)は80歳、妻は78歳、2人暮らし。
チリ地震の際にも津波を経験した。そのときはもっと海沿いの方に家があった。

地震発生後、2人は車に乗って避難。が、津波に追いつかれてしまい、波に押し出された漁船や家に突き上げられ、車が数mは浮かび上がってしまった。津波が退くと着地でき、九死に一生を得た感じだ。

後で家に戻ってみると、根こそぎの大きな桜の木や、信号機なども中に入っていた。
二階建ての家だが、子どもが独立後はほぼ一階でだけ暮らしていたので、家財道具などはなくなってしまった。

川岸や十字路などには、流された家や車などに混じって多数の遺体があった
津波後すぐ、この地区には東京消防庁が入り、家々の中を捜索していった。家の中に遺体がひとつもなかったのは、持ち主が避難所にいる間に消防庁が出してくれたものと思っている。

今日は2軒のお宅でのお手伝いになったが、実際に酷い被害があったその場所で、生き延びたご本人に話を伺うというのはなかなかショックで、もてあましてしまうようなところがある。

午後には、空は快晴になった。

気仙沼でボランティア Vounteer at Kessennuma, Damaged by the Huge Tsunami of Japan Quake

(写真の家は、今回作業させていただいたお宅ではありません。)

バスは別チームとの合流場所に戻り、彼らが長靴を洗い身支度をしている時間、ちょっと付近を歩いた。

気仙沼の様子 Kessennuma, Deeply Damaged Area by the Tsunami of Japan Quake

空も海も明るい。地上のありさまとのコントラストが際立つ。
が、重機は方々で粘り強く作業をしていて、瓦礫を積んだトラックも途切れる暇がないほど行き交う。
心強い。重機やトラックのうなり声は、ここはこういう荒れ地でいることを甘受しない、という力強いメッセージだと思う。

作業後、高台の気仙沼プラザホテルの温泉で汚れを落とさせていただく。

気仙沼プラザホテル, 気仙沼でボランティア Vounteer at Kessennuma, Deeply Damaged Area by the Tsunami of Japan Quake

港からの風がとても気持ちいい。
先週まで二隻あった黒焦げの船が一隻に。こういうちょっとした変化が再訪の楽しみ。

そういえば今日(6月11日)は震災から三カ月。ボランティア作業中に14時46分を迎えたはずだが、付近で合図の放送のようなものはなく、気づかなかった。ご夫婦も特に気にかけていなかった。これはこれで被災の渦中にいる人たちのリアリティーだろうか。
一方で帰り際、商店街の一角に大漁旗を何枚か掲げた供養の台のようなものがあるのを見た。

また行きます!

追記:
今回、気仙沼ボラセンへの苦言を書こうと思ったんだけど、まずは直接の連絡を含め、効果的に思えるやり方を試してみます。

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コメント / トラックバック2件 to “大震災から3ヵ月めの日、気仙沼の個人宅でお手伝いをしてきた話 (震災復興ボランティア5回め)”

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ナカノ樣こんにちは.又お疲れ樣でしたね…私は日本人を信じています,お互いに助け会い一日でも早く復與出きる樣頑張っているのを見て在ります,貴方のブ口げを讀ませて貰っているの….

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akitsaiさん、いつもコメントありがとうございます。励みになります。
現地にはいつも沢山のボランティアが来ていて、それを見ると力が湧いてるんですよ。

また行ってきます!

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