講義メモ:アメリカ先住民族ホピ族の「伝統的」アートの成立過程とか

Posted on 2010年11月10日. Filed under: 未分類 | タグ: |

PARC自由学校の「先住民族とアート・アクティヴィズム」講座、「「先住民族ブランド」と偽装問題 米国先住民族ホピの宝飾細工が知的財産化する文脈」という話を聴いてきた。

講師は伊藤敦規さん(国立民族学博物館/日本学術振興会特別研究員PD)。言い淀みがほとんどなく、とてもわかりやすい話し方をする人だった。

結果としてとても面白い内容で、少し調べてから…とホピ族のことをちょっと調べはじめたら、カチーナ人形(Katsina Dolls)あたりでハマっちゃいそうなので早々にシェア。メモから「お!」と思ったあたりを中心に。

米国先住民ホピ族とホピ宝飾細工

ホピ族はアリゾナ州、グランドキャニオンに住む。アリゾナ州は50州の中で先住民の割合がとても高く、トップ3に入る。他はカリフォルニア、ニューメキシコ

アリゾナの北東部、ホピ族が暮らす「保留地(Reservation)」は群馬県と埼玉県を足した広さ。標高2000mぐらい。乾燥した砂地。年間降雨量が300m。荒涼とした平野に台地(メサ)があり、多くはその上に住んでいる

元々生業として農業を。とうもろこし、かぼちゃ、豆、チリ、すいか、桃、あんず…。今では儀礼で使うために作っている

保留地は自治が許されている区域。政府があり裁判所、行政も。自治体というよりは小さな国家

ホピ族の保留地内では基本的に撮影、スケッチなどは禁止。ライセンスをもらっている場合だけOK

ホピ族の人口、2000年現在1.1万人、9千人が保留地内に。成年男女の職業の7~8割が美術工芸品を作って売ること

油絵の具、アクリル、水彩絵の具で絵画。テキスタイル、陶器、土器、コットンウッド(ハコヤナギ)を削ってカチーナ人形を。そして銀製の宝飾品

宝飾品は基本的に銀。白と黒のコントラスト。青いトルコ石、赤い珊瑚、金も少し

宝飾品の作家は200人ぐらい。トレーラーハウスなどに住み、自宅の工房で作品を作る。訪れるバイヤーに売ったり、近郊で開かれるアートショー(見本市)に出品料を払ってブースを出したり

保留地の中に13の村落、19カ所のギャラリーがある

日本におけるホピ・アートの販売店は2004年現在で340店舗、2010年、400店舗ある。都内に80軒ぐらい。90年代半ばから増えてきた

Fax、メール、Skype、Facebookなどで日本とホピ間でかなりやりとり。ある作家が100個作ったら70~80個は日本に来ている例も

模倣品・偽装品について

アートは模写から入り、模倣は必要なプロセスではある。が、偽装品はそれとはまったく違う

ホピ作家による別のホピ作家作品の非合意の模倣、制作技法と意匠を模した作品。ホピが作ったものを手本としてホピじゃない人が作ったもの。日本のインディアンジュエリーの有名ブランドが自社の商品として模倣するもの、など

日本の店が売るメキシコ製商品の例。裏に刻むホールマーク(作家のサイン)も真似を。日本の店がオリジナル品として売っているもの。裏に自社のトレードマークも入れている。”Hopi Style”(ホピ・スタイル)と言って売ったりもする

偽ブランドへの対応

ホピ・トライブ政府による対応

アメリカ政府の文化保存局(Cultural Preservation Office)、日本でいうと文化庁にあたる組織も

販売店、作家などの個別対応
2002年、ホピ作家組合の結成、訴訟を前提とした抗議など(対先住民系販売店、対ホピ作家)
作品に付随させる作家・作品情報の強化
制作技法、素材の改善。銀だと模造されやすいので、金、ラピスラズリなどを組み合わせる

インディアン美術工芸法(1990年、インディアン美術工芸委員会)
故意に売った場合には禁固15年など厳しいが、FBIが捜査する必要があり、滅多に動かない

州条例。99年現在、10州が模倣品販売を規制

ホピ宝飾細工の発展史 (ホピ・ブランドの創出)

ホピ・ジュエリーは、歴史上のある時期に人為的に作られブランドとなっていった

Fred Kabotie (1900年~1986年)、元々画家。デザインのインストラクターとして独特の技法を創った

グランドキャニオンのウォッチタワー(ものみの塔)、内側を埋め尽くす壁画は彼が描いた。政府の要人と人脈を培い、サンフランシスコ万博で先住民アートのひとつとして彼の絵画が注目を集めた

1930~40年代まで、ホピ族が作る宝飾品はナバホ族、ズニ族などと大して変わりがないものだった

1934年までアメリカ政府は強制同化政策を取っていた。宗教を強制、土地を分割、言語を禁止など。それが一変、経済的に自立させ自然と同化を促進する策に。最終的には白人化をもくろんだ
一民族一特産品を作れば観光客が増える。ホピ族のものと一目でわかるものがあれば買っていくだろうと
そこでホピ族では、ホピ独特の技法を生みだした

が、先住民全般ではこの強制同化政策からトライブ自治政策への転換は基本的に失敗した。先住民の傀儡政府への反発や分裂、技術・道具が追いつかないなどの理由で

第二次大戦が始まると金属配給が滞り、若手の作家が徴兵され中断。大戦が終わり、一民族一特産品の計画が復活した。多くのホピの作家は戦争に行ったので復員軍人援護法が適用された。職業訓練所ができ、ホピ族自身が指導者となり、技術を培っていった

白と黒のはっきりした作風は今から50~60年前にFred Kabotieの尽力があって生まれた。この宝飾細工の制作技法「オーバーレイ(重ね合わせ)技法」は元々ホピの存在せず、人為的に創出されたもの

1枚に下絵を描き透かし彫りに。もう1枚に重ね合わせ半田で接着する。透かし状になったものが平版に乗る。それから加工してリングやブレスレットなどに

40年代、Kabotieは技法だけでなく「作家性」も教えていった。作品に作家のサインを入れることを奨励した。ホピ族のものとして、だけではなくホピ族の個別の作家のものとして売ろうという考えがあった。例、グレン・ルーカスの”GL”マーク。多くのホピ作家は自分のクラン(熊族、とうもろこし族、太陽族…)のシンボルをホールマークに使うケースが多い

まとめ:知的財産化する文脈

そもそも今広く知られているホピの宝飾品は「伝統的な」アートではなく、オーバーレイ技法も存在しなかった

先住民族ブランドの創出と、個々の作家のブランド化が同時に進行した。そして宝飾品は今ではホピを代表するアートの一ジャンルになった。世界市場での高い評価と「ホピ製」情報の普及。オーバーレイ技法=ホピ製

が、これはオーバーレイ技法を使えば価値の高いホピ製と騙りやすい、という面も

偽物がマーケットに流通するもうひとつの理由。保留地での直売でなく、交通網やインターネットの普及、仲介業者の介在。日本にいながらにして買える。作家の顔が見えないこと

偽物に対しては米国政府、州政府、ホピ政府、ホピ作家が対応を行ってきた。偽物が出回ることで「私たちの文化資源だ」との意識が高まっていく。法律面では「知的財産」という主張が動くことになる

Q&A

Q: ホピ族の例は先住民の特産品づくりの中でも傑出した成功例なのか?
A: 一民族一特産品政策の中で、ホピは稀な成功例といえる(主に南西部しか知らないが)。他の先住民では、独自の政府を認める・認めないといった諍いなどからアートの産業復興までいかなかったケースも多い

Q: ホピのアートは何が多い?
A: 女性は壺、男性は木彫人形が一番多い。ジュエリーは初期投資がかかるのでそんなに多くない(日本には宝飾品ばかり入ってきているのでその印象が強いが)

Q: ジュエリーの材料の銀はどこから?
A: 銀はすべて居留地外から。ジュエリーの素材で居留地内で採れるものはない。こういった材料をギルドが購入して分配するシステムをナバホ族が作った。土器、壺、人形は保留地内でとれるものを使っている

Q: なぜ材料から外部で調達する必要があるものが一民族一特産品の対象になったのか?
A: インパクトがあったからではないか。「伝統を新しい技法で」。オーバーレイ自体はよくある技法だが「技法、伝統的なデザイン、作った人」の組み合わせが重要だったのでは
cf. たとえばイヌイットの版画も1950年代以降に生み出されたもの

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