[アイヌ] 開拓使の写真家に撮られたアイヌ、露口啓二氏の「地名」とか

Posted on 2010年10月17日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

「アイヌ民族の文化と歴史をふりかえる」講座、第2回の「写真の記録と表現に見るアイヌ民族の土地と人びと」という講義。講師は倉石信乃(くらいししの)さん。

以下、印象に残ったことメモ(要約であり、正確さは無保証)。

  • 日本のドキュメンタリー写真は明治初期、北海道開拓使と共に始まった。そこではアイヌの人、風俗、土地などが沢山記録された
  • 1968年、北海道写真が「発見」された。日本の写真史100年を振り返る写真展プロジェクト(「「写真100年 日本人による写真表現の歴史」展」)。日本写真家協会、全国で写真を発掘した。その中で再評価されたのが田本研造。そのキーワードは「記録性」(弱い「表現」より力強い「記録」を)
  • 一方、アイヌの人たちは被写体として視線を甘受してきたという反省は68年の写真家たちにはない。写真の外側の情報を排除して、絵としてインパクトがあるものをすくいあげようとした
  • 85年、アイヌ肖像権裁判。「アイヌ民族誌」(北海道開拓100年記念事業の一環)に少女時代の写真を使われたチカップ千恵子さん(2010年2月に亡くなったときの訃報)は、無断使用だけでなく「滅びゆく民族」というレッテル、人間標本的な扱い方に憤った(書籍「アイヌ肖像権裁判・全記録」)
  • 明治9~10年、札幌の写真家武林盛一による写真「樺太アイヌとクラーク博士」(「樺太アイヌ」の背景:明治8年、日本はソ連と樺太千島交換条約を締結。樺太を譲渡し千島を手に入れる。樺太にいられなくなったアイヌは北海道に強制移住させられた)。この写真の構図、前景に征服された現地人が座り、後ろに宗主国の軍人が威厳をもって立つ(保護者として振る舞う)というスタイルは、植民地の写真に典型的に見られるもの(このページの末尾にあるものと同じ? 「江別百年物語 国策によって翻弄された樺太アイヌ対雁移民の30年間の悲劇」)
  • 写真「創建当時の札幌神社」(今の北海道神宮。オーストリア人の写真家ライムント・フォン・シュティルフリートによる)。国民国家日本が立ち上がる時期の“植民地神社”、後に台湾、ソウル、パラオにも。神社は山を背負う場所に立つ。札幌神社の後ろには丸山。アイヌ語ではモイワ(小さい岩)。祖先の斎場でありアイヌにとって霊域だったと思われる
  • これらのこと(「皇国の北門」としての開拓)を開拓使の写真家たちは記録していた。が、68年には負の遺産であるとははっきり認識されなかった

最後に紹介されたのが、露口啓二さんという写真家の連作「地名」。
北海道の各地で、同じ場所を2度撮影するという手法で撮られた写真。2度めは同じ地点をややズラして(右か左などを)撮る。写真のタイトルは地名、ただし「漢字、ローマ字、アイヌ語の音、アイヌ語の元の意味」というかたちで表記される。たとえば、

「平取 / Biratori / pora-utur (崖・取る)」
「来岸 / Raikishi / (…) (和人を・殺した・ところ)」
「乳呑 (…) (我ら・祈る・山)」
「雨煙別 (…) wen-pet (悪い・川)」
「発足 (…) kamuy-hattar (神の・淵)」

など(モニターを見ながら書いたので間違いがあるかも)。2枚の写真がアイヌ語から日本語へと変わる時間の経過や意味の二重性の比喩になっていて、断層、亀裂、ズレ、混じり合わないことを匂わせるというもの。なかなか凄まじい。

この写真集に載っているのかも。

露口啓二写真集/Blinks of Blots and Blanks/ICANOF2009
http://www.hi-net.ne.jp/icanof/html/publication/catalog/2009.html

ググったら、倉石さんによる写真展「地名」のパンフレットの文章があった。

写真展「地名」パンフレット 誤訳の領土-露口啓二「地名」について 倉石信乃 | 露口啓二 blog「ぼさく」
http://www.fremen.biz/contents/modules/tblog/?page_id=241

露口啓二の連作「地名」はあまり劇的でも教訓的でもない仕方なのだが、思いがけない仕方で「私たち」を歴史に直面させるのだ。「私たち」は、先住者の土地と言葉を簒奪し、そこに「日本語」を充当することによって、その地を統治してきた。明白な文化破壊者である私たちは、それを看過することに恥じず、充分馴れ過ごしてここまできてしまった。
(…)
露口の作品は、「間違った」翻訳のプロセスに触れ、古くていまも決して消えはしない傷口に触れている。観者である私たちはみな、「誤訳の共同体」の住民として、名付けとその途方もない波紋について自ず思考をめぐらすことになる。

このような写真は「芸術の現在のあり方として重要ではないか」と倉石さんは言った。

「おぉ」と興奮したんだけど、1日経ってこれを書いている今、虚しさも感じる。こういう写真はどんな人をどういう風に動かすんだろう。でも芸術、前衛ってこういうものか、とか。

(この後考えながらいろいろ書いてみたけど、まとまらないので削除)

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