[misc] アイヌ統治のアメとムチ、「イウォル(伝統的生活空間)」と環境倫理とか

Posted on 2010年10月10日. Filed under: 未分類 | タグ: , |

明治大学の社会人向け講座(明治大学リバティアカデミー)で「アイヌ民族の歴史と文化を振り返る」というのがあるのを見つけた。仕事や、狭い意味での生活には関係ないのでちょっと躊躇したけど10分後には申し込んだ。で、昨日初回に行ってきた(毎週土曜日・6回)。

ぼくがアイヌ問題をちゃんと知ったのは、学生時代に読んだ本多勝一氏の本だったと思う。
興味が少しずつ再燃したのは、ここ数年で道東に数回行き、自然や歴史、特に魅かれる「地名」について調べていくうちにだった。「あ、そういえば」ぐらいの思いつきで阿寒湖アイヌコタン(アイヌの村)に行ってみた。やや寂れた印象だった。2度めの知床の帰りには、網走の北方民族博物館にも行った。展示物を眺めると「オホーツク文化圏の人たちって国境に関係なく自由につながってたんだ!」と納得できる気がした。
というわけで、「アイヌ」はぼくの“関心ごとの毛細血管”のひとつだ(注:関心ごとの毛細血管とか)。

1回めの講義は浜口稔氏(明治大学理工学部教授)。ご出身は沖縄だけど、琉球と同じ辺境の文化としてのアイヌに興味を持ち研究をしているという話が面白かった(ビジネスではこういう「自分が目の前の仕事になぜ取り組んでいるのか」は大抵省略されるけど、そういう“語り”があってこそ、受け取る内容が豊かになるんだなぁと思った)。

講義でも紹介されていたけど、アイヌ民族のDNAは、ロシアのサハリン(ニブヒ)やアムール川沿いに暮らす人たち(ウリチ)と近いという研究成果があるんだって。

オホーツク人のDNA解読に成功 北大研究グループ
http://www.okhotsk.org/news/oho-tukujin.html

「!」と思ったことを備忘+αぐらいでだらだら書いておく。

和人のアイヌ政策のムチ、ムチ、ムチ、そしてアメ

アイヌの歴史に詳しい人なら常識だろうけど、和人(本土から渡っていった日本人)とアイヌの間には、圧政と搾取に対する蜂起そして鎮圧の歴史がある。アメリカ先住民の悲しい歴史は映画で知っていても、アイヌの英雄コシャマインやシャクシャインの名前も聞いたことがない日本人は多いかも。

映画といえば、こないだ「森と湖のまつり」という映画をDVDで観たんだ。1958年公開の映画で、血気盛んなアイヌの若者を演じるのは高倉健。原作は武田泰淳の小説で、しかも新聞に連載されたことを知って、当時はアイヌ問題ってそんなにポピュラーだったのかな、と少し驚いた。

話を戻すと、講義を聴いて意外だったのは「ムチ、ムチ、ムチ(ひたすら圧政)」という印象を持っていた和人のアイヌ政策に「アメ」的局面もあったってことだ。

1457年、コシャマインの蜂起
→鎮圧、コシャマインは戦死(謀殺説あり)、平定される
松前藩、「商場(あきないば)知行制」へ。蝦夷地を区切って家臣に与え、アイヌの直接交易を制限する
1669年、シャクシャインの蜂起
→鎮圧、和睦に応じたシャクシャイン、謀殺される
18世紀には交易は「場所請負制」へ。交易は商人に委託され、請負商人によるアイヌ酷使起こる
クナシリ・メナシの戦い
→鎮圧、蜂起の首謀者は処刑される
幕府は蜂起の責任を問い、松前藩の場所請負制から幕府による交易直営に移行

幕府は、アイヌの山丹交易(沿海州の民族とのサハリンでの交易)、千島列島を南下するロシア人との交易を見て「松前藩のやり方ではアイヌ人がロシア側についてしまう」という危惧を抱き、アイヌ撫順のため「御救(おすくい)交易」という名の交易を行う。つまり国防上必要であったため。
これが「アメ」政策。ただこの後は、幕府の弱体化で「場所請負制」が復活、抑圧や持ち込まれた伝染病の蔓延などでアイヌ人口は激減。明治維新後、日本が近代国家となる過程で「外地」から開拓地、「皇国の北門」(明治2年 明治天皇下問書)と位置づけられ、開拓が本格化する。

「ムチ」だけでなく「アメ」政策があったという点を意外に感じたのはこういう理由からだ。
Tumblrでアイヌ関連のquoteへの“自分の祖先はロシアの圧迫を恐れて進んで日本に同化した。だからアイヌ差別を言い立てる人はおかしい”みたいなコメントを見かけて、ふーん眉唾だなぁと思っていたけど、事実「アメ」政策はあったし、少数民族は国と国の狭間でどちらかに恭順するという道を選ばざるを得ないフェーズもあるんだ、と(注:だから同化政策は正しかったとは言ってません)。

アイヌの「イウォル(伝統的生活空間)」とつながる環境倫理

もう一つは、アイヌの「イウォル」という概念の話。イウォルとは「アイヌの伝統的生活空間」のことで、より詳細な説明をレジュメからいただくと─。

樹木・草木等の植物の採取や栽培、魚類・動物の捕獲や保護、これらの活動に関する文化的営みを行うため、森林、耕地等の領域と、水辺(河川、湖沼、海岸、沿岸域)、これらの空間と一体的に利用される付随的な空間も含んだ総体

浜口氏は

  • (イウォルについて考えると)「自然」という言葉はアイヌにとってはおかしい
  • (勝手補足:アイヌにとって自然は、和人の都会人が息抜きにたまに訪れるような「自然」とは違う。そこから食べ物や道具など、生活に必要なものを調達する空間である。)
  • 和人も、普段暮らす都市空間と「自然」の連続性を探らなくてはいけない

と説明した(と思う)。

ぼくがこれを聴いて「あー、あの主張と同じことなんだ」と思ったのがこれ。

Amazon.co.jp: 自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク (ちくま新書): 鬼頭 秀一
http://www.amazon.co.jp/dp/4480056688

この本は「自然を保護すべきか」、つまり環境についての倫理を考えるうえで人間中心でも自然偏重でもない立場から

  • (これまでの環境倫理の基底にあったのは、)人間にとっての自然の「「有用性」という価値や、「原生自然=ウィルダネス」という自然そのものに本質的に存在していると考えられている価値を、(…)広いつながりのネットワークを持った、つまり、深いかかわりあいをもった関係性から、部分的に抽出しているに過ぎない」
  • 環境問題の本質は「人間から離れて存在している自然が損なわれることではなく、人間と「生身」のかかわりあいがあった自然が、「切り身」化していくこと
  • 木を伐ってはいけないのではない。木を伐る行為が、ローカルな社会的・経済的・文化的・宗教的状況の全体性を損なうことがないか、また、別のネットワークによって代わりの全体性が形成されるかどうかが重要だ

と主張する。これ強く印象に残ってたんだけど、イウォルの話で思い出すとは、と。

北海道に沢山残るアイヌ語由来の地名は元々実用的だ。
「…ナイ」は氾濫しない川、「…ベツ」は氾濫する川、稚内は「ワッカ=飲用に適した水」+「ナイ」で安全な川、とか。先生は「アイヌ民族の生活空間は、生活に必要なものを調達する手掛かりが得られるような地名にあふれている」と表現した。これがイウォルということなんだろう。

たとえばぼくがよく(余暇として)登る奥多摩の山々の名前には生活のヒントは何もなさそうだけど、「シュマトゥカリペツ」なんか情報そのものだ。いや日本(本土)だって、昔の人はいわゆる“頂上を中心とした山の名前”などには興味がなく(適当に呼び)、危険な沢、キノコが採れる谷なんかにはちゃんとした名前を付けたらしいけど。

感想終わり。

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