「思考するカンパニー」感想:儚い「利他心」を事業に活かそうという会社、アミタ

Posted on 2008年9月11日. Filed under: 未分類 | タグ: , , , , |

「思考するカンパニー 欲望の大量生産から利他的モデルへ」を読んだ。

株式会社アミタの社長である熊野英介さんが書いた本。
アミタという会社は、Wikipediaによれば(アミタ – Wikipedia)「総合環境ソリューション事業」で、Yahoo!ファイナンス(アミタ(株)【2490】:会社概要 – Yahoo!ファイナンス)では「廃棄物の中間処理・再資源化大手。排出企業から受け取る資源管理料が収益源、コンサル等も」との説明がある。

ぼくがアミタという会社を初めて知ったのは、環境や社会貢献についての情報誌「オルタナ」の特集でだったと思う。
この会社は「持続可能経済研究所」という組織があったり、京都(京丹後市)に「森林ノ牧場」という森林の再生・再資源化の実験場を持っていたりと、廃棄物や環境といったキーワードだけでは括れない不思議な奥深さを感じる。

で、「思考するカンパニー」は、アミタの経営者である熊野氏が何を考え、アミタという会社を通じてどんな社会を実現していきたいのかを書いた本だ。いろんな意味で現役の経営者が書く本の内容としては異色だと思う。が、納得度は高かった。

以下、メモ&シェア。引用文中の強調はすべてぼくによるもの。

まず、本の題名にある「カンパニー」だけど、この本ではカンパニーは「仲間」という意味で使われている。立場や組織を超えて人が集まる「有機的なカンパニー」という言葉や、就職するのではなく「合流する」という表現など、契約ではなく使命・志ドリブンな会社をめざすという価値観の表われのようだ。

その「会社」についても、こんな記述がある。

「会社という言葉は福沢諭吉がつくったといわれている。江戸時代に人々が集まる場を意味した「会所」という言葉と、同じ志をもつ人々の集団を指す言葉「社中」、この二つを合わせて会社という言葉をつくった。これからは「社中」のほうへ、会社のメーンフレームをもっていく。そういう新しい企業のデザインが必要なのだ。」(105ページ)

アミタという会社は、工業社会の過度な発展が生み出した自然破壊や資源の濫用を防ぎ、循環型の社会システムを創出するために人の「利他的欲求」を活かすという。「信頼動機を科学する」という節では、多くの人が持っているが、常に発揮されると期待はできない利他的欲求を活用するモデルについて、こう説明する。

「利他的欲求の実践はこれまで思想的・宗教的な教条(ドグマ)のもとで行われてきたケースが多いが、これらの場合、利他的欲求の不確実さを否定して「人はつねに利他的欲求をもっていなくてはならない」として活動を進めていく。これは本来の人間の姿とは離れているため、その活動を社会に広めていくには限界があった。
事業家である私の発想は、あくまで合理的な形で、人間の本来の姿、本能に沿った形で利他的欲求に基づいた経済モデルをつくっていこうというものである。思想やモラルで人を動かすのには限界があるが、合理的な経済モデルは受け入れられれば、素早く社会に浸透していくはずだ。」(80ページ)

熊野氏の話はインターネット的、今風に言えば“クラウド”的だと感じる、こんな説明もある。

一人ひとりの利他的行動は儚くても、大勢の人間が集まれば質的にも量的にも確実性が増す。さらに多くの人が参加して相乗効果が生まれれば、一人ひとりの利他的行動の時間も長くなるはずだ。
私が早急に進めたいと思っているのは、利他的行動を質的、量的にかつ継続的に把握していくこと。」(92ページ)

そのためにウェブで何ができるか? なんて考えを巡らせてみるのはとても面白い。

儚くて脆いリソースに基づくシステム構築の要諦としては、以下のような要素を挙げている。

「儚くて脆い利他的欲求が顕在化しても量的に管理するためには、価値観を提供し続けられる仕組みが必要になる。関係性の提供を持続するためには事業を継続させるプラットホームと──潜在的でありながら共有の──価値観を翻訳できるコミュニケーション技術が必要になる。それらが構築できれば、精神的満足はつねにベル曲線を描き、利他的欲求を持続的に管理できることになる。」(173ページ)

まず、多くの人に利他の欲求は“ある”ことを前提とし(人によっては呼び起こすのに時間がかかるかもしれないが)、しかしそれは脆く、事業を回すためのリソースとしては希少なものという認識に基づいて仕組みをデザインしよう、という話だ。経営者だからこそのリアリティだ。

儲けの話は好きだが志の話に興味がない人は多いし、一方、志の話は夢中になってするが儲けの話を嫌う人も多い。
この本では、志と儲けにこんな橋をかけている。

「「儲かることだけをやっていればよいではないか」という話は多い。至極もっともではある。しかし、利益しか興味のない企業は案外続かないものだ。なぜだろう? 多分、儲かる仕事はすぐに陳腐化して市場の細分化が進み、資本が大きくなければ価格競争に負けてしまうからではないか。」(115ページ)

「利益に対する間違った偏見と企業活動に対する偏見が、真実を曇らせている。
しかし、どんな生命(いのち)も自分の生命のために一所懸命だからこそ、生態系の役に立つ存在となりうるのだ。遠慮して生きている生命など何一つないが、周りを破壊する生命もまたない。そこに気がつき、この大真理をどう事業として形づくっていくかだ。
事業とは営利事業ということではなくて価値をつくっていく行動を意味する。そして価値をつくる手法としては事業が最善の道なのだ。」(119ページ)

「真理」なんて言葉が出てくると、ぼくは大抵警戒心が働いてしまうのだが、このバランス感覚を持っている人の口から出るのなら耳を傾けてみたい。

よく、企業には「ブランド資産」という目に見えない資産があると言われる。

この本に書かれているような、企業のビジョンや志、それに基づく事業活動が醸成する“共感”“信頼”“敬意”といった資産があるとして、それは何て呼べばいいんだろう? 銀座に壮麗な旗艦店を構えるような“ブランド”のそれとは違うものじゃないか。単にモノやサービスを売るためのマーケティング効果だけでなく、消費者や同業者が垣根を飛び越えて企業側に入ってしまい、企業もその一要素となる同心円を広げていくような効果をもたらす資産なんだと思う。

この本には、来るべき産業の姿として「マインダストリー(Mindustry:心をつくる産業)」「フィロカルチャー(Philoculture:生活文化を愛する産業)」というキーワードが登場するのだが、そういう企業だけが持ちうる資産ということか。

「おわりに」という章、熊野氏自身の精神の遍歴を語る部分で、

利他の精神という気づきは、利己の追求の先にあった。今は自分の未来と対話したとき。未来の私が語りかける現在への要求は、利他と利己の区別がつかない要求がほとんどだ。」(191ページ)

というくだりには驚いた。こういうことが言える境地はすごい。が、自分の中のさまざまな欲望を思えば、ぼくは到底こんなことが言える境地ではないなぁ。

アミタのビジョン、そのための手段(事業)について一番わかりやすい説明が最後の方にある。

「もう一度、人間が破壊してきた循環を人間の手で、大いなる循環の再構築をする。それが、私たちの使命なのだ。環境破壊と資源枯渇を解決する手法として「資源リサイクル」という旗を掲げ、再循環をより明確化するために、アミタは資源とエネルギーとを製造する活動を加速している。そして、今、自然と人間の関係を修復していく事業が始まろうとしている。」(192ページ)

そしてそれは、「世の中に対してひたすら誠実な凡人が集まってはじめてなせるもの」だという。

アミタという会社がこれから何をしていくのかを、期待をこめて見守りたい。

また、ぼくはこの本から、事業というのは本来社会をよい方向に変える力を持つものだというメッセージを受け取った(その意味では、「社会起業家」という言葉は自己撞着的かもしれないと思った)。ぼくもがんばろう。

コメント / トラックバック2件 to “「思考するカンパニー」感想:儚い「利他心」を事業に活かそうという会社、アミタ”

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先々週に、このカンパニープログラムの説明会にいく機会がありました。アミタはとても不思議な会社。理想と実務が常にお互いにバランスをとりながらすすんでいるようでした。どちらかに偏るのではなく、そのバランスにすごく注力している印象をうけましたよ。でも来場者はほとんどが社会起業家に興味があるような若い大学生。私は最年長だったので少し居心地が…

yoshiokaさん

お久しぶりです! 「カンパニープログラム」って始まったばかりのようですね。
アンテナ立っていますね。今度感想など詳しく聞かせてください。


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