陸前高田市小友町矢の浦で“壁”を作るお手伝いをしてきた話
2011年12月16日(金)、29回めの東北被災地でのお手伝いの記録。
5月からぼくが毎週乗り続けたレーベン号は、この回と年末最終便が「休止」となった。運営方針について見直しが必要な点が出てきたこと、毎週の長距離走行で傷んだバスの修理が必要なことなどが理由だ。
レーベン号は、もしこの週行っていれば「30回め」のお手伝いになったはずの日だった。
天気予報では、土曜の陸前高田の気温は日中でも0度から3度とこれまでで一番寒そう。が、5~6時間くらいのお手伝い、寒さは大丈夫だろう。ちょっと不安なのは、レーベン号以外のボラバスに乗るのは初めてという点だった。原点回帰のいい機会と考え、「この健康な体を復旧のために役立ててください」というマインドで行ってこよう、と考えて集合場所に向かった。
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今回お世話になったのは、山梨のNPO「甲斐のめぐみ」の陸前高田行きボランティアバス。バス内の紹介で知ったが、この団体のボラバスは今回で34回めだそうだ。
集合場所は行き慣れた日比谷…ではなく池袋。酒が入って陽気になった人混みを抜け、10分ほど歩いた先にあるサンシャインシティプリンスホテル前だ。
バスにはこんな表示が。「独りじゃないさ!がんばろう!東北 つないで陸高!なじょにがすっぺ ボランティアバス」。応援メッセージがテンコ盛りといった感じだ。
毎週金曜の夜はレーベン号で眠ることが日常になっていたので、慣れないバスでのシートの座り心地やエンジン音の微妙な違いが気になって目が冴えてしまった。いつもは感じることを省略していた高速道路のサービスエリア間の移動も、「いまどの辺だろう」と何度も気になったりする。
阿武隈パーキングエリアに着いたときには、大粒の雪が降りはじめていた。雪が降ると結構暖かいというけど、なんとなくそんな体感温度だった。

途中で工事渋滞などもあり、長者原SAに着いたのは朝5時ごろ。雪の勢いは衰えていなかった。
このボラバスでは長者原で長めの休憩を取り、サービスエリア内で食事もできるらしい。が、早朝からそういう気分にはなれず、コーヒーを買ってバスに戻った。
一関インターを降りると、見慣れた沿道の建物群の多くが雪をかぶっていた。
道の駅かわさきに立ち寄り、ここでトイレ休憩と着替え。雪の勢いは強く、市街地も遠くの山肌も白い。
陸前高田はどうだろう…と思ったが、Twitterでもらったリプライによると寒いけど雪は降っていないということだった。
「現在地の気温 -3度」。
途中の気仙沼でも、頼りない太陽の下で雪が降っていた。大火に見舞われ、最近では瓦礫もほとんど片付いた鹿折は真っ白な平野になっていた。
が、バスがさらに進み、唐桑半島に入ったあたりで、雪は完全になくなった。
陸前高田に入る。温度差で曇ったバスの窓越しに見る希望の一本松。
竹駒町のマイヤ横の仮設ローソンで朝食を購入。道からやや奥まったところに北日本銀行の仮設店舗が突然現れていた。この辺り、本当に景色がどんどん変わっていくなぁ。
ボランティアセンターに到着。駐車スペースはあと少しで満車だったが入ることができた。
いつもならリーダーとしてマッチングや資材貸し出しに駆け回る時間だが、今回は人任せなのでちょっと気楽。
みぞれが降りはじめていた。
今日のお手伝いは、小友町の矢の浦漁港での土のう作りと、津波で崩落した土手の補強と決まったらしい。
甲斐のめぐみ号では、ニーズ票をバス内で参加者に回していた。レーベン号では(個人情報についての懸念もあり)そういう風にはしていなかった。が、お手伝いの背景がわかれば参加者のやる気も高まる。なるほど、と思った。
矢の浦は、以前レーベン隊がお手伝いした冥加沢・両替( 陸前高田市小友町、大船渡線がちぎれたところで瓦礫を片付け、恐ろしい地鳴りを聴いた話 )から10分ほど広田半島側に進んだところにある。
今日の作業はシンプルだ。
後方にある崩れた土手を補強するため、土のうを作る。
手前の土を掘り、スコップで3~4回ぐらいの分量の土を土のうに入れ、口を縛る。
土のうがある程度溜まったら、斜面の下まで運ぶ。
斜面の下に土のう袋がある程度溜まったら上まで運び上げ、互い違いに重ね合わせて崩れそうな部分を塞いでいく。
朝10時前は、土がカチカチに凍っている部分も多く、水溜まりにも厚い氷が張っていた。
空は晴れだが、なぜか風と共に雪が舞う中で作業はスタート。
ぼくはひたすらスコップで土をすくっていたが、リーダーの大島さんに声をかけられ、昼食前の30分ほど土のう積み班に回った。斜面の状態と土のうの大きさ(結構バラつきがある)を見ながら、凹凸がないように積み上げて行く。慣れてくる頃、ふと「あ、この町の壁を修復しているんだ」という思いと共に、やりがいが高まってきた。
昼食休憩。
動くことをやめると途端に体が冷えはじめる。
このチームのボラセン戻りは14時で、元々昼休みは30分の設定だったが、それよりさらに早く作業を再開することに。早々に食事を終え、立って震えていたメンバーからの異論はなかった(笑)。
木の上の方に黄色い衣類のようなものが引っかかっていた。津波はあの高さまで達したのか。9ヵ月、あのままなのだろうか。
13時過ぎ、土のう袋が尽きたタイミングで(ボラセンに補充を頼むには遅すぎるということもあって)作業は終了となった。土のうは数百個ぐらいは作れたはずだが斜面の補強作業は未完成で、他のチームに引き継ぐことになる。
ボランティアセンターに帰着。
スタッフの方に今日のボランティアの数を聞くと「約250人」とのこと。先週より150人少なく、最盛期の1/4ほどだ(もちろん単純な関心の低下とばかりはいえず、道路事情などでボラバスが中止となっている例もあるが)。
ボラセンに吊るされた干し柿は仮設住宅の方などが作ったもので、頼めばもらえるそうだ。
ボラセンを出て採れたてランド高田松原に立ち寄り、買い物後に集まりはじめたメンバーたち。甲斐のめぐみ号では、作業後に一段落着いたらビールなどで乾杯する習慣があるそうだ。
気仙沼までのバスの中で、大島さんが司会となり、今日のメンバーが他にも参加しているレーベン号、ボランティアバス「サンキューフォーザワールド」の紹介や、NGO「グッドネーバーズ・ジャパン」の“鮭P”(岩手県大槌町の河川清掃ボランティアプロジェクト)の説明などが和やかに行われた。
また、このバスを主催する「甲斐のめぐみ」の理事の方から、理事の1人の奥様が仙台で被災したり、近所に気仙沼出身の人がいたことから、震災の翌週から炊き出しや物資支援をスタートしたことなどの説明があった。ちょっとした縁をきっかけに、12月になっても長く深く支援を続けているのだ。
バス内で、「気仙沼横丁」に30分だけ寄ることが告げられた。このバスとしては初めてだそうだ。
すぐさま「あたみ屋」に駆け込む。店内の空席はほぼレーベン号参加者で埋まった。
ラーメンを注文(この日もみそラーメンはなし…)。疲れと寒さでこわばった体に浸みるやさしい味だった。
オープンしたばかりのこの気仙沼横丁では有名人を度々見かけるけど、今回は元ヤクルトの古田敦也さんがテレビ撮影のスタッフと共に来ていた。年末の特番用だそうだ。
バスに乗る直前、いつも夜は売り切れの「気仙沼発 クリームサンド」をゲット。お店の人に「他の味もぜひ売ってください」とリクエストしておいた。
帰路、レーベン号は停まらない蓮田サービスエリアで初めて停車体験。
珍しく24時間営業の軽食スタンドで、「あぶりベーコン串(アスパラ入りカマボコにベーコン巻いたもの)」をゲット。うまい。
帰りのバス内で、Facebookのニュースフィードに流れてくるレーベン隊のみんなの単独ボラを含むさまざまな活動の様子を眺めた。毎週70人以上が結集して東北へ行くレーベン隊もすごいけど、それよりずっと少ない人数でも、それぞれ思い入れのある場所にお手伝いに行く様子にも励まされるなぁ、と思いながら。そして甲斐のめぐみ号の中、参加者がこれまでのお手伝い体験を周りの人たちと楽しそうにシェアしている姿もあった。
震災後、人と人が沢山の線でつながれた。そういう人たちの間にいるとき、普通の世の中とこことでは流通する通貨が違う、と感じる。



























寒いのにお疲れ樣でした.手にマメが多山出きたでせうね.ボランティアをして樂しく話合える方達に敬意を感じます.氣仙沼橫丁に人氣が無いのちよっと淋しいでせう.でもボランティアの人達にとって温かい休み場所だと思います.お大事にね.
akitsai
2011年12月27日